橋本 麦∿Baku Hashimoto

わからなさのわからなさ

説明ベタなので誰かにソフトの使い方を教えたりする度に微妙な雰囲気になってしまう。僕の説明ベタさの原因は、誰かが何をわかってて何をわかってないか、そしてその人が何を「わかりやすい」と感じるかへの想像力がまるでポンコツだからなのだけど、この自分の「わからなさが分からない」という感覚が分かるまで、だいぶ色んな人を困らせてきたんだろうなぁとしょんぼりする。

ちょっとした笑い話なんだけど、病院勤務のパートナーが「100mlで6gの塩分量のとき、大さじ一杯の塩分量は?」という質問を結構いい大人の患者さんにしたら、考える素振りもせず「わからない」と即答されて困ったらしい。だけどこれは「大さじは15ml」という知識と、この質問を「6の15%は?」という算数の問題に換言する思考力、あとは「かける0.15は、小数点を1つずらして1.5倍すればいい」という単純化が必要なので、案外難しいことをやってのけてるのかもしれない。このひとつひとつは単純なステップを自然に想像できないと、冒頭の質問は手を付けるまでもなく難しそうな計算問題として投げ出したくなるのだろう。

とはいっても、このくらいの日常計算わかれよ!って言いたくなりもする。そこでこの患者さんの分からなさを分かろうとするために自分なりに想像したのが「sinの微分は?」という質問だった。これは高校数学の「sin、cosの微積分はそれぞれの正負との4つをぐるぐるする」というかすかな記憶と、微分とグラフの傾きとの図形的な相関のイメージさえあれば数字すら必要ない4択クイズになる。冒頭の塩分計算よりもある意味で簡単だ。だけど、sinだの微分だのって響きにほだされて、結構な人が考えるまでもなくギブアップするんだろうなぁと思った。

僕はたまたまCGを生業にしていてsinの微分は「大さじは15ml」くらいの当然の常識なのであんまり例として良くなかったかも。どのみち、大さじですら、レシピ通りの料理をする限りml換算する必要はほぼ無い気がする。15%を求める問題だって、消費税が5%だった頃の税別価格に触れてない人には日常的にパッと出来る計算ではないのかもしれない。

だけどこの「持ち合わせの知識でちゃんと向き合えば些末な問題でも、みてくれの難しさから分かろうともしなくなる」気持ちっていうのは多かれ少なかれ誰にでもあることだと思う。自分にとってのうまい例はあまり見つからないのだけど、それは僕が何を分かってないのかすら分かってないから当然なのかも。ともかく、誰かにとってわからないことを苦もなくわかってしまう人からすると、考えればわかることじゃん!ってやきもきしたくもなる。しかしその人がそれを「わかる」ために当たり前に前提にしている知識もまた誰かにとっては当たり前ではないかもしれなくて、そしてその問題を食わず嫌いせずにパパっと処理できるのもそういう場数を踏んだゆえのことだ、という想像力が無いと、色んな人のことを腹立たしく思うことになるし、困らせることになる。これは本当に自分がソフトを誰かに教えてた時の反省なんだけど…。比嘉了さんがいつか仰ってたことだけど、「わかる」ことはその「わからなさがわからなくなる」ことなんだなと実感する。

そして当然「わからなさのわからなさ」が「わかる」ということは「『わからなさのわからなさ』がわからなくなる」ことでもあるので、「わからなさのわからなさ」がわからない人にやきもきする気持ちにも上手く対処していかないとないけない。