橋本 麦∿Baku Hashimoto

嫌な奴

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言い訳すべくもなく「自分の性格は悪い」とはっきり自覚する体験を通して一番良かったのは、世の中に少なくない性格の悪い人達が、どうやってその自分の性格の悪さを自己正当化し続けているかをそれなりに理解できることだと思う。性格が悪いと自覚しながらそうあり続けるのはあまり愉快なことじゃない。

自分の場合は、すぐディスり散らかす性格のことを「日本的な同調圧力に屈せず思ったことを素直に言ってしまう実直さ/爛漫さ」だと暗示していたパターンだった。「ハイコンテクスト文化馴染めないんでw」という言い訳は頭の中で何度も繰り返していた。この手の性格の悪さはリベラルな人に多いので、同族嫌悪を覚える。

そういえば僕が高校時代から尊敬していた帰国子女のクリエイティブ・ディレクターが、最近出産したパートナーに「犬を産めばよかったのに」とこぼしたことを冗談めかして話していた。周囲も見かねて「その言い方は無いですよ」とたしなめると、ご本人は「僕、外人なので」とのたまった。ああ、この人はそのパターンか、と。おそらく彼の周囲には今までそれを指摘してくれる人がいなかった、もしくは指摘してくれる人を本人の中で「正義感に燃えるお気持ちフェミ」としてはねのけてきたのだろう。流石に邪推か。だけども、そういう振る舞いに心当たりがあるだけに見ていてしんどい。

これだけ女性蔑視はダメという社会合意がなされているわりにこの手のミソジニーが明らかに多いのは、取り返しのつかないインセルばかりを象徴的な仮想敵にするあまり、自分中のそうしたその無意識レベルの自己正当化に気づきづらくさせているのは一因としてあると思う。

かくいう僕もミソジニー体質だったので理解できてしまうのだけど、それなりに進歩的な価値観だと自認していて、自分なりの「これ以上はアカン」ラインを自分なりに死守しているとつい安心する。そして明らかに悪意に満ちたスリザリンばかりを反面教師していると、そこより遥か手前に超カジュアルに内面化している性差別を普通に見落とす。

性差別に限らず、パワハラから日和見主義まで、「性格の悪さ」のいろいろな側面には、こういう罠が潜んでいそうだなとふと思った。