橋本 麦∿Baku Hashimoto

リベラルワナビ

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環境問題、政治、LGBT、フェミニズムしろ、世の中の価値観の風向きが変わるパターンとして、そういう問題に意識を高く持つことが良くも悪くもファッションになる、というパターンは古今東西多いなとふと思った。

それはそうした事に無関心でいることが少なくともダサくはなかった世代へのカウンターとして始まることが多い気がするし、とにかく「善である」よりも「同時代的である」ことの方が人の考え方を変える訴求性はずっと大きい。

一方で、どの問題も、本来誰もが意識して当然なことで、世の中の風向きが変わったといってもそれはマイナスがゼロになったに過ぎない。別にそれは褒められることでもないし、恩に着せることでもない。

当たり前の道徳観として浸透するまでの過渡期としてまずファッションとして流行ることの副作用に、ごく表層的な理解なゆえに肝心な所で古い認識が露呈してしまう、「自称」な人達が少なからず湧いてくる現象は見受けられる気がする。フェミニズムを例に上げると「イクメン」ぶりをやたらと恩に着せたり、生理ちゃんを読んだだけで全てを理解した気になったくせに無意識的にミソジニーを引きずる男性だとか。そうした人達に向けられるある種のシニカルな目線は、結局深い所で化けの皮が剥がれるんじゃないか? という不信感にもある気がした。というか最近もそういう感じの炎上案件をもらい見した。

皮肉っぽく書いてしまったけれど、かくいう僕も「自称」系な自覚はある。自称にすら及ばないかもしれない。そういう立場として何となく思うのは、確かに色々ツッコミどころは多い僕たちですが、あんまり厳しく精査せずに生温くご指導ご鞭撻して頂けると嬉しいです…ということだ。いや、「ことだ」とか言うのもなんか偉そうで申し訳ない。別にこれはトーンポリシングでは無いし、実際あからさまにイケない価値観が露呈したり誰かを傷つけてしまった時にはガッツリ怒られてしかるべきだけども。

ただ、そういう自称だとかポーザーとかワナビ的な人種も含めて、生易しく軌道修正してあげつつ、ムーブメントの裾野としてふんわり取り込める空気感がどこかにあると、それが正しいかどうかは置いといて、効率上良いことなのかもしれないと思った。