Nコン
NHK放送コンテストの全国大会を見てきました。
あまり過去の栄光(?)にすがるのは良くないと分かっているんだけど、
あれから早一年かーって、感慨にふけちゃいます。
僕自身の創作に対するスタンスがとても揺らいでいます。
高校の時は、早くテスト勉強なんかから解放されて、
四六時中クリエイティブだけを考えていたい。
部活動なんて制約された環境じゃなくて、
もっと自分の好きなことをやりたい。
放送の分野よりも、自分には表現としての映像が合っているんだ。
なーんてことを心にぼやいていたわけです。
けど、今じゃ全部真反対なんだよね。
結局の所、自分って作品への所有欲がとてもあるのです。
「自分で作った作品だ!」
って。
もちろん表現の為の表現はやりたくないし、
人を選ばない、普遍的なクリエイティブをやっていきたいから
「自分の表現はこれだ!」
と独りよがりな自己主張をするつもりは毛頭ありません。
ただ、出来上がった作品を観てくれた人が
「だれが作ったの?」
って言ったとき、
「僕はディレクションを担当しました」
みたいな中途半端なのは嫌だった。
「全部僕がしました!」
って胸を張って言いたくてたまらないわけです。
煩悩ですよね。
もちろん人前では
「6人メンバーがいたとしたら、一人ひとりが16.6%を作っていくんだ!」
みたいな面しているけど、
半分くらいは建前なんだよね。
多分、所有欲以外にも、
自分のアイディアこそ最高だっておごりもあるんだと思う。
この分野においては完敗!全て一任します!っていう人達じゃないと、
一緒に仕事をしたくないんだろうね。
けど、結局「作品への所有欲」がそもそもの作品の表現を制約しているっていうか。
少人数、できれば自分一人で出来る作品にしちゃえ、
じゃあ必然的に長編ドラマは無しか。みたいに。
恐らくこのことが最近の指向のブレに繋がっているんだと思う。
映像作家になりたい。
けど、直接編集する人と、それを総括する人は殆どの場合別々なんだ。
じゃあディレクターになりたい。
ディレクターよりもプロデューサーの方が強いよ。(by プロの方)
じゃあ、キャンペーン自体をブランディングする立場になりたい。
って、どんどん膨らんでいく。
映像なんて共同作業が当たり前なのに、
心のどこか、無意識な部分で、それを許すまじとする自分がいる。
ホント幼稚な願望だけど、多分そんな程度の人間なんだよね。
話は戻って、会場で、以前からTwitterで交流していた高専生の方とお話する機会がありました。
その時に、彼女が
「自分の世界観を表現することにあまり興味は無くて、みんなでなにかを作ることが好き」
って。
自分より全然大人だなって思いました。
いや、こんな思考レベルで止まっている自分が子供すぎるだけなのかもしれないけど。
なんか自分に言われているようで嫌だったから、咄嗟に、
いやーそれ凄い大切だよ。
美大生の作品なんて一般ピープルにはポカーンなエゴに溢れたアート(笑)ばっかりだからね。
なんて言っちゃったし(笑)
けどね、いい加減「自分の作品を作る過程」に喜びを感じるんじゃなくて、
純粋に「一つの作品が生まれていく過程」に喜びを感じられるようにならなくちゃいけないって思った。
そこに自分がどれだけ関わっているのか、ってことは抜きにして。
とてもいい刺激を受けた、1年ぶりのNコンでした。