Baku Hashimoto

Paradox of tolerance

について思うこと

世の中って結局ずっと寛容のパラドックスをどう解決するかの為に頑張ってるんだなぁみたいな気持ちになってる最近
https://x.com/phi16_/status/1948626369115816074

わきゃる
「寛容さ」や「多様性」が教条的に、常に認められるべきとは思っていない

ラッセルのパラドックスと同じで、世の中の事物一般への寛容さと、「寛容さ」そのものへの寛容さを混ぜると矛盾が生じる

レベルを分ける必要がある

  • 世の中の事物に対してどう相対すべきか
  • そういう「事物への相対しかた」そのものにどう相対すべきか
  • (以下無限)

寛容のパラドックスは、この二つのレベルの議論を混ぜている

ポパー自身は「不寛容に寛容であることは、寛容な社会を滅ぼす」派なのよね

コネクタの形状に多様性はいらない
その不寛容さが、結果的に、色んなベンダーが相互乗り入れしやすくなる、世界のデバイスの連携性を高めるという意味で、世界を多様なものにするから


baku89#iconの立場は、「不寛容なミームには不寛容であっていい」

ミームを憎んで人を憎まずなので、そういう不寛容さをその人に発現させる感染性の高いミームこそ憎めど、その人自身の人格は(よほどキショくない限りは)生暖かく見守る

  • 分自身そういう周囲の生温かさに生かされている自覚があるので

不寛容なミームとは、あからさまに排外的な価値観に限らず、「あまりに『正しさ』として説得力があり過ぎて、すべての差異を飲み込んで均質化してしまうもの」も含む。というか、自分が特に問題視しているのはむしろそういうものかも

  • モダニズム、インターナショナルスタイル、デザインシステム、なんたら思考

Grid System(グリッドシステム)とかってのは、欧州っていう多国語での出版が当たり前だった地域における組版の並列化に都合が良かったってだけで、全世界のあらゆる言語の組版文化に適用できるわけじゃない

色んなドメインの「よさ」を単峰性最適化に帰する方法論ってのは、認知負荷が低いし、公正世界信念とも相性がよいし、問題解決を楽にしてくれる(最急降下法をやればdeterministicに大域解に辿りつけることが保証されているので

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