橋本 麦∿Baku Hashimoto

UIに関する考察

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ここ最近、「ツールの設計思想に隷属するぞ」という状態に意識的にマインドを持っていかないと映像なりグラフィックを作れなくなってきている。そういう風にしないとそもそも制作や仕事にならないんで頑張ってるのだけども、同時にずっとこういうことも考えてしまう。

「良いものを作る」を雑に抽象化すると、作品の構成要素という無数の変数からはじき出される「良さ」の評価関数をどのように最大化させるか、という最適化問題だと言える。

とすると「ツールの制約」の意味する所は大きく2つあって、変域を制限することでその探索空間自体を狭めてしまうということがまず1つ。あともう1つが、その探索空間の「動き回りやすさ」がツールによって定まってしまう、ということ。

前者はジョン前田しかり、わりと多くの人に語られてきている。変数の定義域を広げたり、あるいは今まで変数だとみなされていなかったものを変数として捉えることを可能するだとか、とにかく「境界線を拡張する/自由度を高める」という志向はテクノロジー・アート的なもののひとつの動機づけになっている。

一方で、後者についてはなかなか触れられていないような気がする。ちょうど杉浦康平の時間地図のように、いびつな距離関数によっていびつに歪められた探索空間の景色の中で、なるたけ中立的に「良さ」の山なりを探そうにも、どうしてもアクセスの便利な場所にひきつけられてしまう。実はそこから絶妙に離れた郊外や僻地にこそ、ちょっとした良さの小山や丘があったりするのだけど。問題なのは、そういった場所に原理的に「行けない」のではなくて「行こうと思えばいける」という中途半端さで、それがツールの制約を制約として意識させづらくしている。

なにかツールを採用するということは、その探索空間の中の狙った領域を効率よく駆け回れることと引き換えに、そういった制約を進んで受け入れるということでもあって。その制約にどれだけ自覚的であるかはとても重要なことだと思う。

ここ数年作っていた、例えば「カメラ位置をトラッキングしながらコマ撮りする」みたいなシステムは、どちらかというと、今まで出来なかったことを可能にする、というよりは、その探索空間の位相や座標系だとかを自分の制作に都合の良いように設定しなおすことで「動き回りやすさ」をコントロールするということを目指している。(だって頑張れば人力でもコマ撮りでカメラは動かせるし)

Adobeのアップデートしかり、最近のソフトウェアの新機能の多くはずっと抽象度が低くて、言うなれば「需要の出てきた新天地まで高速道路を建設する」みたいな感じ。VRや、UIプロトタイピング系の機能追加がそう。まさにそこに行きたかった!って人にはこれ以上に嬉しい話はないはずで、自分みたいなニッチな指向とそういう需要とを天秤にかけて、現実的に後者の顧客層に比重を置くベンダーの判断も分かる。

だけども、もっと根本的に、その探索空間全体を軽やか且つより速く駆け回れるカスタム車が欲しいんだ! という気持ちにならなくもない。Adobe Maxであるような、面倒いタスクが人工知能によってワンクリックに、というような派手さはないし、欲しい新機能としては意識されづらいけれども、きっとみんな嬉しいと思う。

話が大きくなってしまったけれども、そういう意味でエフェクトコントロールのUIとかもっと良くできるんじゃないかなーと思っていたのを最近ようやくプロトタイピングし始めた所です。この先どうしようか全く考えてないんですが、いつかAdobeの人とかにパクってもらえる程度に洗練されると良いなとか思っていたりします。別にこれは作品でも何でもないので、色々アドバイスとか、もしくは趣味的に一緒に考えてくれる人がいらっしゃったらとても嬉しいです。