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title: 連続講義『アート&テクノロジーへの問い』#5 コンセプションとメディウム（孕むこと）
date: 2024-09-22T06:58:49.000Z
updated: 2026-01-08T14:50:59.343Z
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  - "[連続講義『アート&テクノロジーへの問い』]"
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# 連続講義『アート&テクノロジーへの問い』#5 コンセプションとメディウム（孕むこと）

\#[連続講義『アート&テクノロジーへの問い』](/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%80%8E%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88&%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%95%8F%E3%81%84%E3%80%8F)

#### 宿題: 寺山修司作品はアートとしてどう評価足り得るか

- 「インタラクティブ」って名ばかりのインタラクティブじゃん っていう話って結構あるあるよね

  - 佐々木敦の寺山修司評: 結局観客が参与しているといっても、想定の範囲内なわけじゃん、それってただのメタな劇を上映しているに過ぎないよね
  - re-active, inter-activeの問題　畢竟、ギミックとしてのインタラクティブ性はなくとも、作品は（十分に訓練された鑑賞者の心象世界の中において）インタラクティブ足りうる　的な話

- _実験映像_

  - 『審判』（1979）
  - 『ローラ』

* 美術美学っぽい語彙を使えばなんかそれっぽい、みたいなの あんま分かんない

- コンテンツとメディアの関係性

  - 「たんぽぽ問題」
    - あの作品のこと?
  - self-recursive

* G.E. レッシング『ラオコーン』
* グリーンバーグ “medium specificity”
* クラウス “post-medium condition”（70年代）

- pregmant moment 『含蓄のある瞬間』

  - pregmant 妊娠した? なんで?
  - conception - 受胎

### コンセプションとミディアム

- 製品、商品、作品の違い

  - 商品はマーケットに出るもの
  - 製品は工業的に作られたもの
  - 商品になることが目的ではないもの、作り手自身の中にあるある種の問題解決

* アイディアは環境依存？
* コンセプト、ポエジー、オートポイエーシス

- Google Mapsの美術館, もう少し目線低めて

### Sol Lewitt - Conceptual Art

- [『paragraphs on conceptual art』](https://monoskop.org/images/3/3d/LeWitt_Sol_1967_1999_Paragraphs_on_Conceptual_Art.pdf)

- 『sentences on conceptual art』

- > All intervening steps—scribbles, sketches, drawings, failed work, models, studies, thought, conversations—are of interest. Those that show the thought process of the artist are sometimes more interesting than the final product.

- 今まで通りのものを手技でもって「巧く」作るだけの奴らがムカつく

- 結構いろんなエクスキューズがあって面白い

  - > I do not advocate a conceptual form of art for all artists.

  - 思いつくままに書いたから

- 自分に関しては、機能すんだよね、この考え方が。

q; フォームそのもの\
絵の話ではなく額縁の話

- 様式を踏襲しながらより巧くやる vrs. 様式そのものを変えていこう

「巧さ」

メディアアート的なものは、確かに「絵」ではなく「額縁」の話をしている、フォームをより良くすることではなく、フォームそのものの話をしている。だけど、フォームそのものについての語り口というフォームがどこか似通っているんじゃないか。藤幡さんも含めて。e.g. メディアアーティスト、Times New Romanかウルトラライトな小塚ゴシック/明朝をキャプションに使いがち。游明朝体36ポかな。

ソル・ルウィットもウォルター・デ・マリアは確かにある種の技巧性を放棄したが、あの時代背景において、そういうアティチュードを見せたこと、ああいう展示の仕方をしたことがもつ異化作用には、より抽象的な意味での「巧さ」があるんじゃないか。けど今のメディアアーティストは、フォームを相対化しているものの、フォームについて言及するフォームはむしろ、彼ら彼女らの仮想敵とする層以上に、均質化しているように思えてならない。

岡崎真理子さん最高

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- コンセプトは重要であって重要ではない

  - コンセプトをしっかりと勉強する: 河原温、杉本博司
  - エスニズム: 武満徹

- アンチコンセプト
  - 工芸的な「技巧性」の歴史に接続するという形ではなし得ないんじゃねぇか?
