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title: プログラマーには反AI論者が少ない
description: " （すごい適当に書いています） プログラマーの方々の全体的な傾向として自分が感心しているのは、プログラミングによってプログラマーという職能が代替されそうな時に、淘汰されるのであれば仕方あるまい、と潔く諦めているところ 共感はしないけど、（エンジニアやIT系の起業家に比較的多い）リバタリアン／新自由主"
date: 2026-05-13T13:21:09.642Z
updated: 2026-05-13T13:21:09.642Z
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# プログラマーには反AI論者が少ない

（すごい適当に書いています）

プログラマーの方々の全体的な傾向として自分が感心しているのは、プログラミングによってプログラマーという職能が代替されそうな時に、淘汰されるのであれば仕方あるまい、と潔く諦めているところ

共感はしないけど、（エンジニアやIT系の起業家に比較的多い）リバタリアン／新自由主義者としてすごく筋が通ってる

もう少し実存的危機に陥ったり、お気持ち表明してみたり、アーツ・アンド・クラフツ運動みたいな言説をしたり、一部の士業のようにレントシーキングしたって人間臭くていいのに

プログラミングという行為の本来的な志向の話と、ジブンらがさしあたりご飯を食べられるかは——職能の経済的な価値は歴史的な偶然の積み重なりによって恣意的に決まるものである以上——独立した問題だと思っている

プログラミングが目指す社会の効率化、そして自由な労働市場に殉じて、ポストagentic coding時代に向けてまじめにリスキリングしている様子は、むしろ筋が通り過ぎてすごいなぁと思うと同時に、もうすこし「怠惰」であっていいのかも、と思うときもあるって話

そのスキル自体を売りにするんでなく、手段としてプログラムを書く自分個人としては、agentic codingのほうが怠惰になれるし、集中できる抽象度のレイヤーが高く知的に愉快でもあるのは事実。すごく楽しい

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### 主な反応

<https://x.com/_baku89/status/2054460948757529058/quotes>

- **プログラミングによるプログラミング自身の自動化はそもそも悲願**

  - これは、プログラミングによる自動化、抽象化の快楽を味わう個人として一番よく理解できる
  - 自己言及的なエレガントさがある
  - ただ、雇用の話には答えていない
  - あったとしても「なんとかなるさ／していくさ」系が多い

- **とうとう自分にお鉢が回ってきた**

  - つまり、ソフトウェアが色んな職能を代替し、食いつぶしながら発展してきたことに、プログラマーとして一抹の原罪のようなものを感じているっていう
  - だから、ソフトウェア・エンジニアリングによってそれ自身が代替されるのであれば、粛々として受け入れるのが筋
  - これは実はとても意外だった

- **プログラミングそれ自体が重要じゃない**

  - プログラミング ≠ ソフトウェア・エンジニアリング
  - 目的を達成することがエンジニアリングだから、その手段は問わない
  - 特定の言語やライブラリに熟達することが大事ではなく、技術選定やDBスキームの策定には、エンジニアリングに対する結晶性知識が求められる。LLMには（まだ）それができない
  - チームマネージメントや事業立案といった、社会や人間と接地するより広範な領域もふくめると、まだそこに人間が介在する意味がある

- **やっぱりショックだよ**

  - あなたのフィルターバブルからは見えてないだけで、StackOverflowもHackerNewsもスクレイピングやレイオフの話で阿鼻叫喚だよ
  - OSSが持たなくなってきているわけし

いろんな「気持ち」が伺えてとてもうれしい。コーディングかはともかく、広い意味でのソフトウェア・エンジニアリングを生業にされている方々の気持ちのことが最近ずっと気になっていたから。

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これは一貫して賃労働と雇用の話で。仮に「入社以後のコミット、社内チャットやリモート会議の全履歴を食べさせてあなたの代わりとするのでクビ」と言われて、しゃあないかぁって引き下がれるのか、米俳優組合が「無断でデジタルヒューマン化しては駄目」としたように、何らかの権利を主張するのかな、とか考えていた

現に、AI失業ってそれがものすごく間接化された形で起きているわけで。Flashが無くなろうとレイオフされようと、これだけ合理性や技術的前進に殉じてきたのであれば、絵師の方々のように多少お気持ちをアジったところで、罰は当たらないのでは……。実際AI絵師系のサービスにはそれなりの抑制力が働いているのだから、そうした言説を繰り広げること自体、それなりに自己成就するし、職能の延命にも寄与するはずで。

情報処理技術者のような資格を発展させて、プログラマーという職種をすこし「士業」のように見せかけるっていう動きがあったっていいのかもしれない。個人的にはダルいけど

たとえば個人情報を取り扱うサービスには、安全性を満たすべく必ず国家資格をもったバックエンドエンジニアによる監査を義務付ける、とか。あるいは、障がい者雇用枠のように、ある程度以上の規模をもったWebサービスには、アクセシビリティ専門家によるa11y対応を義務付ける、みたいな方向にレントシーキングするとか。

れは多分、労働組合的なまとまりが必要なものではある。タクシー業界 vrs. Uberのように、事業者団体が頑張るというわけにもいかない。インハウスののプログラマーと、SIerのような業態が入り乱れる世界とはいえ、プログラマーの派遣会社や受注会社は、弁護士事務所のような強い立場にはない\[要出典]。「AIによる代替を理由に契約更新を打ち切ることを禁止する」なんてできっこないし。

ハッカー文化はリバタリアン的って書いたのはちょっと軽薄だったと思う。ただ少なくとも、ギルドを組んで、プログラミングという職業の価値を保全していこう、仕事を奪われるとか気にせず、安心して職人として研鑽を重ねられるような環境を作っていこう。っていうスタンスとプログラマーの相性は、やや悪いと思っている。

ただ、テック右派にせよ、いにしえのハッカーのように、対抗文化の薫陶を受けたバキバキのリバタリアンにせよ（対抗文化の帰結は小さな政府ではないような気もするが）、全体的には自由市場というものを信じている人が多い印象はある。モノの市場にせよ、金融市場にせよ、労働市場にせよ、個々のプレイヤーが近視眼的にジブンのための最善手を選び続けることが、巨視的にも市場に均衡を、社会には効用の最大化をもたらすっていう。けど、「それが技術の発展、しいては社会の効率化に繋がるというのなら、自分の目先のメシの種が無くなっても潔く撤退します」っていうスタンスは、意外なほどに利他的に思える。ちなみに自分はゆるふわであやふやな理解のケインジアン。少なからず助成金に生活の糧を　依存したことのある身として。

「自分の食い扶持の選択肢がなくなったとしても、ただ純粋に新しい技術が世界をどう変えていくかを見届けたい」って反応も多かった。これは共感できる。けど、食えなかったとしても最悪野垂れ死にせずに、健康寿命をそこまで目減りさせずに、数千円で虫歯が直せるっていう社会への信頼は、テック右派よりかは大きな政府を前提としているし、信頼もしている。いや、プログラマーは、我らがシャバい文化左翼以上に、正しく「リベラル」だったのかもしれない。無論、自分の知性と適応力を武器に、どう社会が変わろうとサバイブしていけるっていう圧倒的自信をお持ちの人もいらっしゃるだろうけれど。

プログラマーの本懐はプログラミング言語をチマチマと打ち込むことではなく、エンジニアリング = 問題解決であり、その手段は問わない。旋盤工のように職業訓練的に身につけるものではなければ、宮大工のように職人的・工芸的な価値が見出されるものでもない。（demosceneやcode golf, quineは除く）

プログラミングに熟達するということは、同時に「新しいプログラミング手法の学び方」というメタスキルに熟達することでもあり、そこにはClaude Codeの使い方や自然言語によるagentic codingを学ぶことも含まれる。ソフトウェアやパーソナルコンピューターは、計算手から経理、そろばん名人、看板職人から絵師まで、歴史的に色々な人々の食い扶持を破壊しながら発展してきた。けど、一部の人を除いて業界全体としての原罪を背負い込まないのは（ぼくもそこまでの必要は無いと思う）、ソフトウェアによってあぶれた労働者も、リスキリングしたり、あるいは生活保護でもなんでも受けて、なんとか行きていけるでしょうという福祉社会への厚い信頼がある。そのまなざしは自分自身の職能にも躊躇なく向けることができる。

なにより、自分が生み出すものに客観的な交換価値があるかどうかは、プログラミングが好きという自分の実存とは切り離されている。それで食えるかどうか、機械によって代替され得るかどうかとは関係なく、プログラムをつくることは好きだ。この先AIがプログラミングをどう変えていこうと、プログラマーとして作りたいものを作りたいようにつくる。こういう分離原則は、絵師やミュージシャンのような他の分野の人々にも投影される。ゆえに、純真無垢にAI絵師サービスをつくれちゃう。だから、実はプログラマーの（典型的な）行動原理には、実に一貫性がある。

いや、どうなのかな。どうにもそうには思えない。もっといい意味で、考えすぎないようにしているというか。軽やかというか。

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- プログラマーは食い扶持が消えることに既に何度も慣らされてきたから、職能の経済的価値の偶然性を体感的に知っている。絵師はそうではない。「絵を描く」という行為の価値はずっと不変だった。だから分離原則を採用する切迫さがない

- ただ思ったのが、プログラマーないしハッカー文化に憧れの念があっただけに、教科書的な理解をしがちだったのかも

  - Web3にしたって、Nishikigoi NFTがクレジットカードを発行する話も、CryptoやDeFiの思想に共鳴していたんじゃなかったのか、って意外に思った
  - けどToshiさんとお話して、そんな壮大な話じゃなくたって、キャリアの節目に偶然出会ったテクノロジーにアツくなったっていう、もっと個人的なきっかけだったりもするし、それでもいいんだって知った
  - ただ違和感はある。Web3[そのもの](/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE)の話が殆ど伺えなかったし、クレジットカードというシステム自体、おおむね邪悪だと思っているから
  - だって与信と非現金決済の為に手数料ウン%を支払額問わず出さなくてはいけないし、それをお店側が価格差に反映させることも（契約上）許されない。だから決済手数料は商品の価格に転化され、消費者が間接的に負担することになる。そうしてクレカ会社に上納した額のいくばくかを、ポイントカードという体裁で（多くの消費者が自覚することなく）購買情報を明け渡すことによってポイント還元してもらい、それをオトクだと誤認する
  - 与信は大事。けど、必要な資本はないけどアイデアはあって、何か事業を興したいという人への与信と、与信が必要になるほど購買力をかさ増ししたい消費者への余震とはわけが違う
    - デビッドカードでいいわけだし
  - PayPay批判に対する応答として「金融システムのようなミッションクリティカルな仕組みは相応の維持費がかかる」というシステム屋さんからの反論もあるが、同様のリスクやコストは現金決済にもかかる。けど、現金通貨というシステムは、おおむね税金の投入と、銀行の経済的インセンティブによって、直接小売や消費者の負担に転化されることなく回っている
  - むしろお金をやり取りするっていう根本的な経済活動にレントを取ること自体、自由市場としてどうなんって思う
  - 電子決済にしたってそれ自体をビジネスにするんじゃなくて、銀行や国がなんとかすべきなんじゃないのって思う。どのみち正のネットワーク効果で競争は期待出来ないわけだし
  - タイのPrompt PayやスウェーデンのSwishとか（決済手数料はクレカより低いもののある）
  - あるいはUSやオーストラリアのサーチャージのように、利用者負担が明確かされたっていい
    - 日本が店舗側負担を原則とするのは、消費者庁やカード会社のガイドラインが根拠らしいが、「不当な価格差別を防ぎ、消費者の選択肢を狭めないため」が消費者保護として謳われている理由があまりよくわからない

- 話は変わるが、ハッカー文化は伝統的にリバタリアン思想的だってのはやっぱり事実。違うよって反応もあったけど
  - [Eric Raymond](/Eric_Raymond)も[Richard Stallman](/Richard_Stallman)も

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似たことを以前にも書いていた

- けどそれは当たり前なのかも。こうも諦めが早いのは、リバタリアン的諦観ってよりも、プログラマーの職能が「特定の言語を使いこなす能力」じゃなくて「抽象化能力」に置かれているから

  - けどAgentic codingは、抽象化能力こそもはや凌駕されてるんじゃないかな
  - じゃあ深いドメイン知識を持っていたり、LLM以上に現実と記号接地している人間としての領分に集中すべきだっていうけど、それも時間の問題
  - LLMは問題解決はできても、問題発見、すなわち「問いを立てる」ことはできないって話も、現状のチャット型GUIがそういう状況をつくりやすいってだけで、比較的簡単に解決できてしまう
  - OpenClawやCoworkのようなcron、自動実行型のbot

Gen AIが出ようと、Agentic codingが出ようと自分が辛うじてアイデンティティ・クライシスに陥らないのは、AIがあろうと無かろうと、そのはるか以前から、自分の興味関心は、多くの経済活動において、顧客価値を最大化するのには役立たずのゴミだったから。

あとは、「プログラマー」であることを職業アイデンティにしていない。主たるアイデンティティは映像作家であって、その手段としてプログラミングをつかっていたってだけ。ちょうど英語みたいに。翻訳業ではなく、英語も使わざるを得ない別の職業人に過ぎないから、むしろ自動翻訳の精度があがってラッキー、くらいの感じ。翻訳の対象は人工形式言語なんだけど。

けど、プログラミング技術そのものを、翻訳の文学性そのものを、ものすごく深堀りしている人をおざなりにしていいのか、とも思う。確かにAIは職能を民主化するけれど、そういう「専業」の人達の存在が、そのドメインを深く豊かにしていくっていう側面はあったんじゃないか。

ぼくも、映像を、ブランド訴求や情報伝達のために使っているんじゃなくて、その実験性やアニメーションとしての快楽などを自己目的的に追求している。映像は手段じゃなくて目的なんだ。受託制作は、そのメディアを手段として用いたいクライアントと、メディアを自己目的化するだけでは食えないから、誰かの手段として供与したい作り手とのマッチングによって成り立っている。
