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title: X未満 2025年12月
date: 2025-12-01T00:00:00.000Z
updated: 2026-03-06T05:49:48.271Z
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# X未満 2025年12月

イメージフォーラム映像研究所でゲスト講師をさせて頂いた

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[布山タルト](/%E5%B8%83%E5%B1%B1%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%88)ゼミにお伺いした

中退した身には「ゼミ」なるものが「外回り」と同じくらい謎の行為だったので\
それが解きほぐせたのが良かった\
（大学や研究室によって千差万別とのことだけど）

細かい内容は unlisted のページに書いているんだけど、\
みなさんが話してらっしゃることになんか凄く感激した

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[多作を諦める](/%E5%A4%9A%E4%BD%9C%E3%82%92%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%82%8B) ことについて考える\
別に人がどんだけ忙しくしていようと、その人の生涯のベスト3くらいしか観られない

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[土屋](/%E5%9C%9F%E5%B1%8B_%E6%B3%B0%E6%B4%8B)さんの[なんでんかんでん化](/%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E5%8C%96)はぼくが防ぐ という使命感がある

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「チャッピー」呼び、　それはそれで便利だとして、LLM/GenAIを擬人化すること、親しみやすくすることで見落とされるものについては自覚的であってほしいなって思う

何が見落とされるん?

- 責任の所在
  - 「チャッピーが言ってた」 ← 設計者、学習データの所在の透明化
- 親しみやすい相棒っぽさがありつつも、実施兄は巨大企業の計算資源のリース
- LLMというシステムに対して「理解や共感をしてくれる」という錯覚が誘発されること

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![](https://www.ghibli-museum.jp/images/yamawakiyurikoten_250805_350dpi.jpg)

デスクをすっきりさせない展だ

[三鷹の森ジブリ美術館企画展示『山脇百合子の仕事部屋』展 ～ごちゃごちゃから見えるもの～ - 三鷹の森ジブリ美術館](https://www.ghibli-museum.jp/exhibition/013979/)

デスクをすっきりさせるには、本人の美意識云々、仕事観そのものを探索的でごちゃごちゃしたものから、合目的的で局所最適なものに単純化させるほうがはるかに効果的だと思っている　

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[マルチネ20](/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%8D20)

VJ、うまくなりたいな

経験とトラックメイカー愛に裏打ちされた人力・高速フーリエ変換はすべてのオーディオリアクティブシステムを凌駕するというのを[ヤコー](/%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%BC)さんのVJで感じた

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本、映像、P2Pにしろ、複製可能性にこそ一回性という権威へのカウンターパワーが宿っていると思っている節があるので、展示で特段サイトスペシフィックでもない映像を流すつもりもないし、装丁も増刷しやすいものが個人的に好き

『チ。』は科学史観というよりも写本や出版という技術にまつわる話として共感している

アイデアを書物として世の中に放流することは、一つでも生き残ればしつこい雑草のように増え続けることでもあって、その著者にさえ取り消せない情報の残し方でもある

そう考えると、anon pressは（データでの販売はあれど）「本」だと思っていなくて、だから最近の寄稿（[annon press 『TOKYO CYBERPUNK TRIBUTE』](/annon-press-2)）は「グループ展への作品提供」という感覚に近かったのが、振り返ってみて面白い

あの装丁を見ていると、出版というより彫刻やパフォーマンスに近しいような印象を感じる

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> おそらくミシェル・ゴンドリーに関しては、実際の制作物より、ある種のアイデアの形態、ないしは世界観をつくる態度の方が好きなのだと思う。\
> \*[202510](https://docs.google.com/document/d/14Ci5vSsoeUhOfAbfK25B3FYni0bi-rdphiqp3-IT7Uw) by [瀬尾\*浩二郎](/%E7%80%AC%E5%B0%BE*%E6%B5%A9%E4%BA%8C%E9%83%8E)\_

ミシェル・ゴンドリーは映像作品として最高に決まってるじゃないですか！ という心の声が漏れそうになった（ここには漏らしている）

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プログラミングを嗜んでいるなら、それ自体が利点なのだから、背伸びして人文知的なるものを目を滑らせながら摂取するよりも、Baba is Youを遊んだり、Future of Codingを聴く、プログラミング文化への影響の強いテキスト（ハッカーと画家、GEB、ハッカー三部作…）を読むとかのほうが楽しいですよ派

それは、プロパーなメディア論とかサイバネティクスそのものの軽視というよりも、生活や自分のスキルに接地したところから掘り始めたほうが、むしろ自ずとそうした人文知に繋がったときに自分の言葉でその思想を咀嚼できるように体が整うっていう意味で。

[Feeling of Computing](/feeling-of-computing) は、Apple Podcastだったらtranscriptionもあるから英語学習にもいい。各回ごとに種本ならぬ「種論文」があるので、それを読んで聴いている。最近だと難解プログラミング言語回が楽しかった。

<https://feelingof.com/episodes/078/>

→ [エンジニアにとっての人文学](/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E6%96%87%E5%AD%A6)

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自分は人間関係に恵まれ過ぎているという感情が年々強くなっていく

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便座に座ると力みやすくなるのと同様に、グレーの文字で『What's happening?』というプレースホルダーにフォーカスを合わせると、文字を吐き出しやすくなる

そういう条件反射を引き出す装置としてのみ𝕏️はとても有用

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[不可算名詞としてのwork](/%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E7%AE%97%E5%90%8D%E8%A9%9E%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AEwork)

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自分にとって新千歳映画祭はインコンペすれば御の字で、寝不足になりながらも日中はスクリーニングをぶっ通しで観て、色んな作家の方々と（一部とは再会を喜びつつ）映像そのものの話を夜通し出来るところが本当に好き　むしろ1 day だったり東京開催だと出来ない濃さだと思う

今週初参加の[国内学会](/wiss2025-memo)（ <https://www.wiss.org/> ）が毎年ホテルや温泉開催なのも、研究者にとっても年一くらいはそういう濃さが必要なのかなぁと想像している

アニメーション作家コミュニティへのクソデカ感情と、自分が日常的には近しい広告やデジタル、あるいは（グラフィックデザインじゃない）〇〇デザイン界隈への自卑感情とが綯い交ぜになり、いつも新千歳映画祭を去る時はものすごく淋しい気持ちになる

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> ポッドキャストやYouTubeやトークイベント、世間に溢れてる対話型のコンテンツ語り。オレがまったくわからないのは、例えば2人いて、その片方が見てないもの／聞いてないものについて延々そのコンテンツの内容について片方が説明しながら語っているもの。それは対話じゃなくてただの言葉の壁打ちだよ

[宇野維正 on X](https://x.com/uno_kore/status/2004367182302794013)

珍しく頷首

多分[baku89#icon](/baku89#icon)は他律的に語らされる場をいつも求めている感じがある\
自分から語る場をつくることはなんかダサいという、謎のプライドがあるというか

けど、普通に言いたいことは（ブログを書くくらいには）常に沢山あって、それはこの先も誰かを巻き込まない形でやるべきなんだろうなって思う

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- キャリアにおけるエイジズムやオーバーワークに自分がかなり難色を示すのは、色んな寄り道をして今の専門にたどり着いた人や、色んな事情で全時間を制作に投じることができない人たちを疎外しているからのはまずある
  - というか、全力投球出来ている人は、自分自身の将来の健康あるいは家事労働を負担してくれる同居者など、他の人に対して何らかのしわ寄せをさせている

- けどそれ以上に、そういうマッチョな人たちの作るマッチョな作品に対して単純に飽きているから

  - ありふれている
  - 自分が少年漫画を読めなかったのも少しだけ関係している

- 十分に暇な人だからこそできる作品や成果物のほうに自分は惹かれる

- 「多作主義を諦める」のは色んなものへの答えになっている
  - 家事・育児とのジレンマとか

- 人の仕事なんて、ベスト3くらい知っていれば良い方で、そんな2週間に一度ディレクション案件をドロップしたところで、「ブイブイ言わせているのね」という自己演出とタイムラインの賑やかしにしかならない

  - 自分自身に関するニュースを常に作り出さないと忘れ去られてしまうっていうオブセッションがあること自体が、作り手というより「タレント」的な生存戦略観
  - 本当に力のある作品や（研究・OSSプロジェクトなどの）コントリビューションは、それだけで十数年とその人のプロップスを高め続けてくれる
    - Mr. doob とか [Zach Lieberman](/Zach_Lieberman) とか、[折笠良](/%E6%8A%98%E7%AC%A0%E8%89%AF)さんや[久野遥子](/%E4%B9%85%E9%87%8E%E9%81%A5%E5%AD%90)さん、[平岡政展](/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E6%94%BF%E5%B1%95)さんとか

- より残酷な事実として、↑みたいな本当に凄い成果物が残せない人は、どれだけ忙しくしても多作でブイブイ言わせたとしても、そのムーブを辞めて5年くらいで忘れ去られていく。だから、忙しくすることはそういう中途半端さへの延命措置にしかならない

  - 「いい成果物をつくること」だけが人生の意義じゃないっていうのが大前提　むしろ、「さして良くない成果物しかつくれない」ことを積極的に愛していきたい。[baku89#icon](/baku89#icon)はやっぱり↑に挙げたアニメーション作家の方々に比べて作品の力がないのだけど、それを必要以上に卑下するわけでもなく、ただ粛々と受け入れている。そういうもんだって。それでも自分の作品のいくつかはとても好きだし、デジデジしている方々のなかではトップクラスに良いものを作っていると自分では思っている
  - というより、デジデジ人は作品そのもののことについて考えなさすぎ。どう企むかとか、どうコンセプトだのなんだのをこねくり回すかばかりに限りある認知資源を割いている。だから[So What? 問題](/so-what-problem)が頻発する。
  - 良くないことを良くないと受け止めるあまり、良くないことを否認したり、「ディス」だとかってタブー視するよりも、「良くないことは良くないわけじゃない」とするほうがはるかに優しい世界だと思う

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初めて「人事」方面の方々と腹を割って[コーポレート・ポエトリー](/Corporate_Poetry)の話が出来たのがよかった　ああいったコピーライティングが、画面のフンイキと賑やかし以上の具体的で精緻な意味は殆どないって思っている方が（業種や企業文化に依るものの）他にも居て、ホッとしたというか

→ そんなことはなかった at 2026-05-11

志高くそれを選んだにせよ、成り行きでその道を選んだにせよ、対象（研究、国語教育、士業、創作…）そのものに本質的に興味があるのか、その人の人生という物語において可換でマクガフィン的なものなのかは、自分が（主に映像という専門性でもって）寄与させて頂きたいと思えるかの一つの分水嶺で

別に専門家やギークこそが至高でそこらのビジネス書に載っているような通りいっぺんのことしか言わない総合職がクソ、とは思わないけど、みんなで一つの目標に向かうことやその高揚感に比べて、[それそのもの](/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE)に興味がない人には、自分も興味は向かないし、（市場価値はともかく）それなりにユニークネスの高い自分のスキルがそういう存在のエンパワーメントのために向けられることは、世界にとってあまりトクではない

ひろしは、双葉商事の事業内容に本質的に興味がない

「ひろしの回想」は小学生のころはとても感動したけど、彼の年齢に近づくほどに、（夫、父としての彼はともかく）仕事人や専門家としての彼に対して興味が持てなくなってきている

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[オープンアクセス](/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9)について

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正当な補償を伴わない徹夜や過労は、価格のダンピングと健康破壊を通じて、将来の自分、家族、後続世代のクリエイティブ資源を食い潰すという点で公害に近い

忸怩たる思いでひっそりとすべきもので、自慢げかどうかは関係なくSNSに書くもんじゃないって思ってる

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M-1決勝を観ながら[かぎ針編み](/crochet)にハマる

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バキ童の「卒業会見」動画を見た

物理的に卒業したかどうかではなく、そういう合意を交わせる大切な人と出会えたことが「卒業」なんだっていう解釈は、ぼくは美しいなと思った

上京した最初期、（自称）元電波少年のプロデューサーの方とか、本郷伸明さんだとかのもとで「師事」というかアシスタントに近いことをしていたのを思い出す。コミュ力も無ければ目立った実績があるわけでもない自分は、ある意味彼らの懐に入ってくために、自らをナードなDTキャラとしてイジられに行っていた

特に本郷さんの頃はとても自覚的で、音楽の趣味とかについて聞かれても、敢えてオタクっぽい回答をしたり。それは、いずれ世の中的にそういう「男子ノリ」とか「体育会系」自体が老害的なムーブになっていくっていう予感が（2013年当時）あったから、今のうちに一種のアトラクションとしてそういうマッチョな人たちの雰囲気を味わっておこうっていう、今思えば謎の天邪鬼さを発揮していたような気がする

想定外だったのは、そうした時代のムードの移り変わりが想定以上に早かったことと、どれだけ戦略的だろうと「イジられ」に身を投じるのは自傷行為としてボディブローのように効いてきていて、自分の自己肯定感を下げてしまうということ。そういう自虐は、パートナーに対しても誠実じゃないんだよなぁって思う。謙虚さと卑屈さは違う

そういうこともあって、DTがどうだとかそういうことが男性同士のステータスだとかコミュニケーションの手段になること自体に今では忌避感がある。まず第一に女性ないし性的対象をモノ化しているわけだし。バキ童チャンネルやその近辺の芸人さん、「エチョナ」の方々同士の関係性は、時々有害に感じられるときもありつつも、なんというか社会学的に、あるいは「ケアの倫理」としてとても興味深く感じる時もあって、よく観てしまっていた。valkneeさんも結構近い感情を彼らに対して感じているような気がする

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[Aesthetic Coherence](/Aesthetic_Coherence)のことを[木村友輝](/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%8F%8B%E8%BC%9D)さんと話した

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[企み人](/%E4%BC%81%E3%81%BF%E4%BA%BA)、[なんでんかんでん化](/%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E5%8C%96)、[コーポレート・ポエトリー](/Corporate_Poetry)とデザイン思考について明確な批判意識があるのは、経済的に合理的なしぐさであるがゆえにミームとしての感染性が高いことと、合目的的で受け手やユーザーにパターナリスティックな姿勢は文化を貧しくするから

逆に「[うすらグラフィック](/%E3%81%86%E3%81%99%E3%82%89%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF)／[こんせぷｔ](/%E3%81%86%E3%81%99%E3%82%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%97%E3%83%88)」に、自分がファン視点で好きでいられるのは、とても良い意味で思想としての説得感に欠ける分、少なくとも『白』やUXに比べると表現に対して発散的に作用するからなのかな
