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title: 𝕏未満 2025年11月
date: 2025-11-13T08:31:52.435Z
updated: 2026-03-04T01:33:23.875Z
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url: https://baku89.com/ja/tweets/2025-11
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# 𝕏未満 2025年11月

𝕏に関しては、「便座に座ると力みやすくなる」のと似た感じで、「グレーの『What’s happening?』というプレースホルダーを見ると文章を捻り出しやすくなる」という条件反射を引き出すための装置として利用している

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最近は「人類にしかできない価値あるものに従事する」なんて話より、「人類にとって調子のいい労働に、どうやって交換価値をでっち上げるか」のほうがよほど重要なんじゃないかと思っている。\
その点、プラクティカル・エフェクトはとても豊かな疑似労働だ。ぼくも何度か手を出したけど、やってるとクセになる。

- 残念ながら、交換価値はそこまででっち上げられなかったけれど。そのロジックを[土屋泰洋](/%E5%9C%9F%E5%B1%8B_%E6%B3%B0%E6%B4%8B)さんみたいなリサーチャーの方と作っていけたらなって思っている　これは皮肉じゃなくて純粋に前向きな意味で

<https://www.youtube.com/watch?v=o2Xlj4cVfsA>

ただ、どうせ実際に撮るなら「リアル物理レンダリング」（LPBR; Literally Physically Based Rendering）ってぼくが呼んでいるような、3Dの物理演算をただ現実でなぞっただけの手法にはしたくない。少しでもカオス性とか偶然性を差し込みたい。実際、ぼく自身「これリアル撮影した意味あった？」と後で首をかしげる映像をつくったことがある。

で、この「疑似労働」の魅力をもう少しだけ敷衍してみる。

最近ぼくが当て擦りがちな「それなりの調査と制作費を投じて[コーポレート・ポエム](/Corporate_Poetry)を詠む」という行為だって、よく考えればずいぶん人間的だ。そもそも、作品性の高いインタラクティブ広告に経済的合理性なんて、本当にあったのかどうか怪しい。広告賞向けのKPIなんて、サイエンスの世界と比べればどうとでもポジティブに演出できてしまう。そうはいっても、「インタラクティブ広告」や「インテグレーテッド・キャンペーン」的なるもののハイプがそれなりに崩れ去った今、Flasher的なクラフトマンシップの過剰さが、新しい方向に生かされるのは、とても文化的に意義深いんじゃないかって思った。

- [【KOKUYO Vol.1】イメージを刷新し、コクヨの真価を宿す。複雑な大組織を「人への想い」で繋いだサイト制作｜mount inc.](https://note.com/mount_inc/n/nef189b6ff84c)

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感覚的な話、砂糖とYouTube Shortsは酒、タバコと同列に捉えたほうがいいような気がしている。酒もタバコもしないけれど、砂糖とShortsはこの数年どっぷりでマズい。

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何人かのアーティストに（映像なりコンテンツを）クラウドソーシングする企画、仕事の作り方としてもあまり人を幸せにしないし、自分が参加したことがあるのも含めて、作品としても面白くなることは稀なんだけど、これはなんかすごく好きでずっと観てしまう

<https://www.youtube.com/watch?v=TuJqUvBj4rE>

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<https://www.youtube.com/watch?v=tDN5RmVHmOo>

[Hiroshi Kondo](/Hiroshi_Kondo)さんの『UNDO』について色んな人と話した。日本コンペティションの最後で、アニメーション作家の方々から色んな意味で物議を醸していた。けどぼくとしては、00-10年代の「デジタル映画祭」、Stash、あるいは Staff Picks が掬ったようなああいった作品をショーケースする場が本当に無くなったなぁって思う。

独立系アニメーションがそうした実験映像やモーションデザインを包摂すべきだ、って言ってるわけじゃない。むしろ自分の場合、そういうモーション作品がフックアップされることでインダストリー側のひとがより独立系アニメーションに触れるきっかけになり、独立系アニメーションの自由さが還流されていってほしいっていう感覚がきっとあるんだと思う。それは、そうした交流が起こることで自分が業界で暮らしやすくなるから、に過ぎないのだけど。

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[新千歳国際アニメーション映画祭2025のメモ](/%E6%96%B0%E5%8D%83%E6%AD%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD2025%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%A2)

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PerimetronのWebサイトのメニューが個人的に好き\
「Contact」が「Hit us」に、「Members」が「Bro」になっているところとかが特に

![](https://wp.baku89.com/wp-content/uploads/2025/11/XE69CAAE6BA80202025E381AE11-1763830346665.png)

映画祭で佐々木さんに始めてお会いしたときに、開口一番になぜそういう命名にしたかを伺ってしまった。どんだけ気になってたんだ、自分。ただ、それに対して、「ノリで」と仰ってたのがちょっと寂しかった。多分思ったんだけど、そういうホモソ的にも受け止めうる「ダチ」感に冷笑的な自分に対して、そういうお前みたいなやつに対する魔除けとして、くらいに言ってほしかったのかもしれない。けどそういう無用な「攻め」をしないところに、ちゃんとお仕事ができる方なんだなって思った

深夜1時、山田さんたちと「遊びに」颯爽と札幌市街へと消えていった

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Creativity Support Tools 方面の研究者も、Art & Tech風味のクリエイティブ/デザインファームの方も、独立系アニメーションの映画祭は一度で良いから視察しにいらっしゃるときっと楽しいだろうなって思う

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若林恵さんは音楽評論家として好き（自分にも読みやすい）なのだけど、彼をロールモデルとする界隈が存在するということを最近知った

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同じ搾取なら、キャリアの浅い方より、既に実績を積み上げた側を使うほうがまだマシだと思っている。だから学生の方を安くつかうくらいなら、ぼくをこき使ってほしい、という思いがある。

この話を、[徳井直生](/%E5%BE%B3%E4%BA%95%E7%9B%B4%E7%94%9F)さんに[MONO NO AWARE - かむかもしかもにどもかも! (imai remix)](/kamukamo)をお願いするときに伝えたら、「そういうことなら」と快く受けてくれた。

安い仕事を作るってことは、本来その人が適正価格の案件に使えたはずの時間と、その結果得られたはずの余裕を奪うことでもある。つまり、自分の作品の質のために、その人が作るはずだった別の作品の質まで犠牲にしている。それはディレクターとしてもプロデューサーとしても、恥ずかしい行為だとぼくは思っている。

だから、安い仕事を発注するくらいならクオリティを落とすほうがまだマシだし、どうしてもこだわりたいなら個人制作という形で自分自身を搾取して済ませるようにしている。とはいえ、現実には安い仕事を作らざるを得ない場面もあって（本当に「得ない」なのと言われると、自分のわがままにすぎないことが殆ど…）、そのたびに発注先には忸怩たる思いで事情を説明している。

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正直にいえば、彼の Star Guitar 観にがっかりしていた　創作物が時代や社会に文脈依存するのは前提であって、何がどう色褪せていくのかこそが大事なんだけどなって思う　そういう体感をふんわり集団記憶として持ち合わせているシーンは豊かだし、「うんこ」を擦るようなクリエイティブな人は居ない

<https://note.com/qantasmz/n/na25e6d4ad483>

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「業界の文脈でインパクトを残しながら器用にキャリアを渡り歩いていけているか」みたいな方向に興味がオトナになっていくものだけど、「Sugar Water にくらった17歳の自分にちゃんと褒めてもらえるか」が原体験として生きているのは、呪いというよりは心地のいい拠り所だと思っている

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[uncle-n-equals-one](/uncle-n-equals-one)

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寝不足・徹夜は、マネージメントの失敗の結果忸怩たる思いでするものであって、こういう風じゃないと制作を回せないという悪い先例にならないよう、公言するのを避けたい気持ちが年々強くなっている

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プロフィールの書き出しを生まれ年にしないことは、エイジズムをまず自分自身に向けることをやめることでもある

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[佐野 和哉](/%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%92%8C%E5%93%89)氏がいうところの「贈与か取引か」の違いが腑に落ちる出来事が最近あった

贈与として渡していたものに対して、その返礼が明確な対価になった瞬間、それは「取引」に堕ちる

そしてその「取引」の額が自分が本来思っていた額ではなかった場合、取引相手としての関係性も終わる

ある意味で贈与の本質は「その定量的価値がお互いに不確定なままに、返礼の社会的義務だけがふわっと存在している状態」による関係性の維持なのかもしれない

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[藤幡正樹](/%E8%97%A4%E5%B9%A1%E6%AD%A3%E6%A8%B9)先生の（指導内容そのものというより、言動やコミュニケーション面の）厳しさは、学位や仕事だとかが懸かっていない立場で接するぶんには、蝶野ビンタ的な意味で経験として面白かったのだが、「あまり向き合い過ぎるとよくない意味で生存バイアスにもなり得るから気をつけたほうが良い」っていう助言を最近頂いた　それは本当にそう

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<https://sumi-to-path.com/#2025-07-15>

[墨とPath](/%E5%A2%A8%E3%81%A8Path)の西塚涼子さん回の後半も聴いた

経験として一巡した感があるから実務からマネージメントサイドに、みたいな気持ちに自ずと傾きやすい分野と、何年やっても掘りきれないや、ってずっと圧倒され続ける分野の違いって確かにあって、前者は表現として本質的にそういうものというよりも、シーンとしての文化的練度が足りないか、ツールが貧しいかのどちらかだと思っている

音楽、書体、グラフィック、独立系アニメーションや小劇場、HCIだとかにものすごく敬愛の念を抱いている一方で、デジタルクリエイティブ業界に対して批判的なのは、そのへんの差　ニュアンスの話が出来る同業の方があまり居ないから（ぼくはかなり出来ている方だと自認している）

デジタルクリエイティブ界隈は総じていなたい。未だに「うんこ」を擦ることとか、「プリンをぷるぷる」させることとか、「オモシロいアイディアを思いつける」こととかがクリエイティブだと思ってる人らとか。

その意味で書体デザインという分野は、文化としてすごく豊かに育っている世界なんだなぁって、すごく羨ましくも思った

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祖父が、老いるということは孤独と折り合いをつけることでもある みたいなことを言ってて、金言だなと思った
