Baku Hashimoto

橋本 麦

generative designと解像度

generative designと解像度 by 山本晃士ロバート

クリエイティブ・コーディングは既製ツールを使ってなにかを作るよりもずっと弄れる変数の多い行為なのに、どうしてこうも空気感もアティテュードも均質化しているのだろう、という長年の疑問への答えにも感じた。

個々のストロークを自分の手で明示的に置いていくのではなく、一段高い抽象度で描き方をアルゴリズミックに記述できる出来る心地よさや、想像を超えた画が出力される愉快さは大前提として。もっと素朴に、PostScriptやグラフィックライブラリの描画関数が作り出すマティエールに惹かれるという視点は意外にも無かった。自分が中高生の頃には既にスタイルとして一般化してしまっていたというのも、山本さんのような世代が受けたくらいの異化を追体験できなかった理由だとも思うし。

プログラミングと既製ツール、自動生成とフレーム・バイ・フレームとの間を反復横跳びしていると、ジェネレーティブかそうでないかの違いは限りなくファジーに見えてくる。基礎的な話にはなるけれど、そもそも何かを描くということは、アクションペインティングがそうであるように元来意図性と乱択性のハイブリッドで、さらにはルーペだとかカラス口だとかで解像度や運動能力を拡張しながら生身の体では描けないものを作り出してきたわけで、プログラミングもあくまでその延長に位置する一手法に過ぎないとも思う。(にしてはとんでもなく高い自由度と再現性を持った画期的なツールであること認めるけれど。)

少なくともクリエイティブ・コーディングという確立したシーンやアプローチの内側で何をどう捏ねくり回しても、ジョン・ホイットニーやクセナキスが同時代の中で発揮したようなラディカルさは持ちえなくて、だからこそ今更「ジェネっている」ことを作品の強度に求めるよりも、Adobeだとかをそのまま使うよりも少しだけ低レイヤーな部分から弄れることを武器に、あまり見たことの無い質感や佇まいをチマチマと発明すること位しかやることは残されてないのではと感じている。(そういう意味でも山本さんの『パラメトリック』はすごく好きです。)

「AfterEffectsの標準エフェクトで作ったグラフィックにOpenGLの定数名をハッシュタグとして付けて投稿するとジェネレーティブっぽく見える」とかいう卑屈なことをしていた位にシニカルに構えてしまっていたのだけど、この記事を読んで少しだけそういうものに惹かれる人たちのバックグラウンドに共感できたような気がして、嬉しくなったと同時に態度を反省した。