Baku Hashimoto

橋本 麦

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意識高い系

白髪ネギメーカー

最近の国産Webサービスって、
100均一に売ってる、
便利なのはわかるけど用途がニッチ過ぎて使おうとは思わない
アイディア調理器具みたいだなって思います。
白髪ネギがこんなに簡単に作れちゃうんです!みたいな。

少なくとも、SNSサービスはもう要らないと思います。
TwitterとFacebookとで十分。
好きな音楽を共有するSNSならMySpaceとかlast.fmの方がよっぽど良いし、
Facebookとかmixiだって設定の仕方によってはクローズドに使えるし。

クラウドファウンディングだって、
結局kickstarter一つの方が良かったんじゃないかなって思います。
国産で新しいサービスを作る位なら、
kickstarterに働きかけて日本語化したほうが良かったんじゃないかなって。
最近3こも4こもそういうサービス出来てるけど、
ネットワーク外部性って言葉を知っていますか!?って思っちゃう。

なんとなく、今のスタートアップとかスマホアプリ、Web業界見渡してみると
Webが好きで好きで堪らない!とか、
こんなサービスあったら超便利なのに!って気持ちでWebやってるんじゃなくて、
なにかビジネスしたい、
なにかビッグな事をしたい、
自由に生きたい、
その手段としてWebを選んでいるんじゃないの?って人が多く目に付くような気がします。
ある方に、
「なんでこのWebサービス作ろうと思ったんですか?」
って聞いたら、
「独立するまでに何か実績を作っておきたいから」
と言われたことがあります。
Webサービスを作る、ということ自体が手段でしか無いんだなって思いました。
いや、アイディアありきであろうが、手段であろうが、
最終的に出来上がるサービスが便利で使いたい!って思えるものであれば問題は無いと思います。
ただ、「俺らもなんかWebサービス作ろうぜ」って動機から
本当に世の中にとって必要なWebサービスを発想できるほど器用でクリエイティブな人って、
そうそう居ないんじゃないかなーって思うのです。

「自分でWebサービスを立ち上げること」って、カッコイイんですよね。
特に、SNSみたいな、ユーザーのライフスタイルとかアイデンティティに関わるようなサービス作れるのって。
だけど、既にあるサービスに機能を付加する形でつくった方が良いアイディアや、
そもそも登録制のWebサービスにしないほうが良いアイディアってたくさんあると思うんです。
TwipicはTwitterとの連携サービスにしたからこそ素晴らしいサービスで、
もし写真共有SNSとして独立していたとしたら、ここまで根付いたでしょうか。
firestorageだって、Pathみたいなイケてるサービスじゃないけど、
Web系ニュースサイトで取り上げられて、開発者がろくろ回しちゃうようなどの国産サービスよりも
僕にとっては生活を便利にしてくれているWebサービスです。
もしあれが、送り手も受け手もログイン必須だったら。。。って思うとゾッとします。
結局、
「自分たちなんかが一から作るよりも、大きいサービスに乗っかった方が良い」
「ユーザーは自分の作ったサービスなんかに余計な時間を費やしてくれるほど暇じゃない」
ってある意味冷めた観点で物事を捉えられるからこそ
ユーザーにとって本当に便利なサービスを発想できるんですよね。

冒頭で調理器具を例にだしていましたが、
結局白髪ネギが簡単に作れる道具なんかより、
計量カップをひっかける為の吸盤の方が確実に役にたってるんですよね。
直接料理に関わっている訳じゃないから誰からも注目されることはないけど
確実に台所に立つお母さんを影から支えている。
まさしくTwipicやfirestorageって、僕の中では「吸盤」タイプなんですよね。
それもフックをキュって下げれば壁にがっちりひっついてくれるタイプの。

だけど未だに、ユーザーにとって便利なツールを提供する事よりも、
「自分たちのWebサービスを作ること」、
「自分たちのWebサービスでユーザーを囲い込むこと」
しか頭にない作り手が
ニッチ過ぎてそんなんいちいちログインするの面倒だよ!ってサービスとか、
それ単純にSoundCloudのURL貼っつけてツイートすれば終わるじゃん!って
サービスを作っちゃうんだろうなって思います。

なんとなくそんな光景を見ていると、
ICカード乗車券が鉄道各社ごとに乱立しちゃっていみわかんなくなっちゃってる現状とか、
かつて誰得な独自仕様を導入しまくっていたガラケー市場を連想するのでした。

「吸盤」みたいなプロダクトや作品を堂々と作れるクリエイターになりたいっす。

俺得

最近、僕って器用貧乏だなー…って強く思います。
今、こうして制作で色々声を掛けてもらえるのって、
そこそこ色んなテイストのデザインができて、
そこそこソフトが使えて、
そこそこのクオリティーのものを作れるからに過ぎないんじゃないかって。
本当は自分のフェティシズムは凄くあって、、

高校までは、自分のフェチに正直に、好き勝手色んなものを作っていました。
その中で何となくだけど、
自分はまぁまぁカッコ悪くて、結構ダサい人間だっていうのは自覚していて、
かっこいいものをストレートにかっこよく描くことに関しては、
イケイケクリエイターやアーティストには絶対敵わないんだな
ってことに気づきました。

世の中は「潜在的にかっこよくなり得るもの」に溢れていると僕は思います。
クソみたいにファッションセンスの無い高校の教科担任、
品川、
Windows98のスクリーンセーバー、
手書きの部活動勧誘ポスター、
ネットに落ちてるダサい年賀状素材。
一般的にダサい、とされていたり、
デザイン性が求められていなかった分野を凄くかっこよく描きたいんです。
ストリートカルチャーや、ファッション、音楽、
こんなの、元々カッコよくて当たり前。
だけど、ダサくて当たり前のものが思いもよらずカッコよく見えた時、
本来相反するものが共存している、
そのギャップに、なんとも言えない高揚感を感じるんです。
ダサカッコイイ、というのも何か違っていて、
一般的にダサくても気にされなかったジャンルの表現に
かっこ良さやデザイン性という要素を持ち込みたいというか。

忙しさ

「最近結構忙しいんだよね」って言われると、すこし嫌な気分になる。
目の前であなたに割く時間は無いですよって言われてるみたいで。

そりゃ大の大人みたいに、義務や責任を常に背負っているような人が
僕みたいな学生相手に言うのなら、仕方ないなぁって思う。
だけど、同じ学生がそれを使うのって、ちょっと違和感がある。
だってそれ、好きでやっていることでしょ?

「TSUTAYAでめっちゃDVD借りたんだけど、
明日返却日だから今日中に全部見なくちゃいけない」
っていう状況を、忙しいって表現する人なんていないじゃないですか。
同じ事だと思う。

僕も暇人を蔑視するようなニュアンスで忙しいとか言いまくってました。
典型的な大二病ってやつ。
だけど、結局自分だって暇人。
暇人だから大学いけるし、バイトで食っていけるし、学生団体だってできる。
確かにスケジュールが埋まってるって意味で「忙しい」てことには変わらないけど、
だけどそれって、決して嫌な「忙しい」じゃない。
だから、人には「忙しい」とだけ言わないように心がけたいと思います、うん。

なんか、「自分で勝手に忙しくなってるだけ」って意味の言葉作ってくれないかな。

持論

滑稽でも、必死に自分の意見を言う人を冷笑するほどつまらないことはないと思います。

僕はこうやって高校生なりの持論をさらけ出しいますが、この記事を、もし仮にその道のプロが読んだらどう思うだろうと戦々恐々としています。まぁまず見られるワケがないのですが…(^^;)

ただ最近になって、まずはアウトプットしなきゃ始まらんと思ったんです。どんなに幼稚でも浅はかでも、それを見透かされることを恐れて意見を言わない人に向上なんて見込めないのだと。

残念ながら僕の学校では、授業中などに積極的に発言する人は「空気が読めない」として仲間はずれにされがちです。だけどそうやってウザがられる人のほうが、それを内輪で嘲笑してつるんでいる連中よりずっとオモシロいはずです。

僕もかつてはその連中の一員でした。だけど今振り返れば、あの行動には嫉妬も絡んでいたのかなと感じています。からかっちゃった人、ごめんなさいm(_ _)m

どう頑張ったってプロの意見にはかないっこないんです。それを理解した上で、身分をわきまえて謙虚に意見を述べることこそが、自分の思想をより高めていく一番の近道なのではと思います。

どうせならモラトリアム期間のうちに試行錯誤したほうがいいでしょ、と自分に言い聞かせながら。
精進します!

調書

調書に四苦八苦しています。
「リーダーとして集団をある方向へ導く際のアイディアや学んだ事を書きなさい」
という趣旨です。
僕は映像に関わる部活のリーダーを務めたし
自分ならではの内容も書けたのではと最初は満足していましたが
先生の反応はそう芳しくない。
「調書は作文ではない。」
という感想の意味も初めはよく分かりませんでした。

さっき父にもその文章を見せました。
その時に
「お前みたいな年の高校生にありがちなのが、
文を修飾しすぎて『だから何なの』が見えてこないことだ。」
と一言。
なるほどなぁと思いました。

以前までの「上手い文章を書く」ことに関するエントリは
そのほとんどが文章の表面上の体裁の整えかたについてでした。
ただ「そういうよけいな言葉を削っていくことで、
文は凄くスマートになるし良い文章になってくることがある。」
という父の言葉からも
(レポートとして)良い文章は簡潔で論理性に優れているのだと感じました。
別に「心に誓ったのです」的な回りくどい言い方をしなくても
ありきたりな表現を巧みに組み合わせることが大切なのだなぁ。

あ、そう意識すれば文章は案外短くなるんだ。

精進します。

読書感想文を書く力

昔から読書感想文が嫌いでした。というのも何を書けばいいか分からないから。

高校生になってからというもの、大して興味のない話題についてそれなりの文章を書ききる機会が増えたと思います。「羅生門を読んで思った事」とか「校内活動で心がけた事」とか。

凄く困ります。何を書けばいいのかって。で、気付いたんです。この感覚、読書感想文を書くときと似ていないかって。何処かの記事で読んだのですが、大人になって求められる意外な能力の一つに「与えられたテーマについて短時間で文章をまとめる力」があるそうです。ああ、読書感想文ってその為の一つの訓練だったんだなと。

以前まで「何を書けば良いか分からない」というのは「書くべき感想がない」と同値だと考えていました。だけど、最近になってそれは間違いだと気付いたんです。正しくは「思っていることを感想文という段階にまで具体化出来ない」。

なにか本を読みます。どんな人であれ、何かかしら思う所があるはずです。「面白かった」「切なかった」。だけど、下手な人はそのステップで踏みとどまってしまう。素敵な文章を書く人は、なにか特別な視点をもってして書物に触れているわけではないと思うんです。大勢と同じく面白かった、切なかったと感じる。だけどその先、「なぜそう思ったのか」を徹底して考えられる。そこには自分のルーツが絡んでいるかもしれないし或は文章中の特定の描写に心惹かれるものがあったからかもしれません。そして素直に思ったことをパズルの様に整理して原稿用紙という型にはめ込んでいく。勿論建前で奇麗事を書く事はあっても、それだけ100%で文章を埋める事はないはずです。

読書感想文は読み物に対する感想ではなくて、読む事で動かされた自分の心の観察日記なんだと思えばいい。僕は最近になってその事を強く実感しています。それに限らず身の回りで文章を書く機会があったとき無から文書を紡ぎ出すのではなくまずは自分の素直な想いに目を向けその想いの「なぜ」を遡ってみる。良い文章を書く上で、この事って凄く大切だと思いました。

言い訳

小1の頃とてつもなく大きく映った6年生は
中学生にとってはカギだ。
そんな中学生も、
高校生の僕からは子供。
今、自分自身のことを
それなりにイデオロギーも持っていて
大人に張り合えるのではと思う時もあるけれども、
そんな認識は
中二病の当事者が、自分の滑稽さに気付かないように、
所詮は尊大な妄想にしか過ぎないのだろう。
とマジになって書いているこういう記事すら
何年後かには一笑に付す存在でしかないのかもしれない。

真面目な話、
僕の今の考え方や行動が
大人の目にはどう映っているのかを正直に知りたい。