橋本 麦∿Baku Hashimoto

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Diary

好きなWikipedia記事

専門用語よりも、
割りと日常的なことばの方が
意外な発見があったりして楽しいのがWikipediaです。

松井秀喜

長いです。

トリスタンダクーニャ

「世界一孤立した有人島」だそうです。
島民の生活なども書いてあって面白いです。

地球の極と端の一覧

「極」と「端」という抽象的なカテゴライズが無性にワクワクします。

世界一の一覧

ギネスブックみたいなものでしょうか、意外な所に日本がランクインしたりしていて楽しいです。

数量の比較

記事の最後の方、天文学的な数字が出てくると死にたい気分になります。

心の哲学

ページ下部の「思考実験」カテゴリの記事が特におすすめ。

八大地獄

やけに設定が細かいです。
一方寒い地獄はわりと適当なのがツボ。

共感覚

共感覚がたくさん載っています。

地上天気図

砂塵嵐の記号なんてあるんすね。

作風

映像の世界にも、流行みたいなのはあって。
●▲■が音に合わせて動くモーショングラフィックスもそうだし、
グリッチやデーターモッシュ表現とか、
ここ数年の日本の映像作家界を見てると、
やっぱり作風が似通ってるなぁと思うことはあります。

前までは、
自分なりの作風を見いだせない = オリジナリティの無いダメなクリエイター
だと思っていたのですが、
最近、それでも良いじゃないか、と思えてきまして…。

多分、細金拓矢チルドレンみたいな人達が、
ミニマルモーショングラフィックス系の映像をどんどん作っていって、
お互い刺激し合うことで、そのジャンルの中で表現として熟成されていく
という創作文化自体に十分意味があるんだと思います。

ニコニコ動画ってまさにそういう文脈を持っていて、
他の人の作品を30%づつ集めて、そこに自分が10%上乗せする
みたいなのでも、十分成立しちゃう世界。
自分の作品、という所有意識があまりないんですよね、
作品をぽいっと放り込んで、コミュニティとして楽しむって考え方。
何となくそこに抵抗感を感じてしまっていたのは、
価値観が古かったのかなーって。

自分の作風を持つ、というのは、
クリエイターとしての代替不可能性を確立するための
セルフブランディング戦略の1つでしかなくて、
そういう映像が好きだから作ってるんです!って
気持ちまでを否定するような事はしちゃいけないなーと
過去の自分を反省するのでした…。

多分、とっとと流派やジャンルとして名前を付けてしまって、
そこに所属しちゃうのが一番良いよね、
ダダイズムとかエレクトロニカとか。

そういう風に明示化されていないうちは、
あーこれってなんだかあの作品っぽいけど本人には言えないなー
って探り合う気持ちの悪い状態が続いていくのかもしれない、
とか思うのでした。

白髪ネギメーカー

最近の国産Webサービスって、
100均一に売ってる、
便利なのはわかるけど用途がニッチ過ぎて使おうとは思わない
アイディア調理器具みたいだなって思います。
白髪ネギがこんなに簡単に作れちゃうんです!みたいな。

少なくとも、SNSサービスはもう要らないと思います。
TwitterとFacebookとで十分。
好きな音楽を共有するSNSならMySpaceとかlast.fmの方がよっぽど良いし、
Facebookとかmixiだって設定の仕方によってはクローズドに使えるし。

クラウドファウンディングだって、
結局kickstarter一つの方が良かったんじゃないかなって思います。
国産で新しいサービスを作る位なら、
kickstarterに働きかけて日本語化したほうが良かったんじゃないかなって。
最近3こも4こもそういうサービス出来てるけど、
ネットワーク外部性って言葉を知っていますか!?って思っちゃう。

なんとなく、今のスタートアップとかスマホアプリ、Web業界見渡してみると
Webが好きで好きで堪らない!とか、
こんなサービスあったら超便利なのに!って気持ちでWebやってるんじゃなくて、
なにかビジネスしたい、
なにかビッグな事をしたい、
自由に生きたい、
その手段としてWebを選んでいるんじゃないの?って人が多く目に付くような気がします。
ある方に、
「なんでこのWebサービス作ろうと思ったんですか?」
って聞いたら、
「独立するまでに何か実績を作っておきたいから」
と言われたことがあります。
Webサービスを作る、ということ自体が手段でしか無いんだなって思いました。
いや、アイディアありきであろうが、手段であろうが、
最終的に出来上がるサービスが便利で使いたい!って思えるものであれば問題は無いと思います。
ただ、「俺らもなんかWebサービス作ろうぜ」って動機から
本当に世の中にとって必要なWebサービスを発想できるほど器用でクリエイティブな人って、
そうそう居ないんじゃないかなーって思うのです。

「自分でWebサービスを立ち上げること」って、カッコイイんですよね。
特に、SNSみたいな、ユーザーのライフスタイルとかアイデンティティに関わるようなサービス作れるのって。
だけど、既にあるサービスに機能を付加する形でつくった方が良いアイディアや、
そもそも登録制のWebサービスにしないほうが良いアイディアってたくさんあると思うんです。
TwipicはTwitterとの連携サービスにしたからこそ素晴らしいサービスで、
もし写真共有SNSとして独立していたとしたら、ここまで根付いたでしょうか。
firestorageだって、Pathみたいなイケてるサービスじゃないけど、
Web系ニュースサイトで取り上げられて、開発者がろくろ回しちゃうようなどの国産サービスよりも
僕にとっては生活を便利にしてくれているWebサービスです。
もしあれが、送り手も受け手もログイン必須だったら。。。って思うとゾッとします。
結局、
「自分たちなんかが一から作るよりも、大きいサービスに乗っかった方が良い」
「ユーザーは自分の作ったサービスなんかに余計な時間を費やしてくれるほど暇じゃない」
ってある意味冷めた観点で物事を捉えられるからこそ
ユーザーにとって本当に便利なサービスを発想できるんですよね。

冒頭で調理器具を例にだしていましたが、
結局白髪ネギが簡単に作れる道具なんかより、
計量カップをひっかける為の吸盤の方が確実に役にたってるんですよね。
直接料理に関わっている訳じゃないから誰からも注目されることはないけど
確実に台所に立つお母さんを影から支えている。
まさしくTwipicやfirestorageって、僕の中では「吸盤」タイプなんですよね。
それもフックをキュって下げれば壁にがっちりひっついてくれるタイプの。

だけど未だに、ユーザーにとって便利なツールを提供する事よりも、
「自分たちのWebサービスを作ること」、
「自分たちのWebサービスでユーザーを囲い込むこと」
しか頭にない作り手が
ニッチ過ぎてそんなんいちいちログインするの面倒だよ!ってサービスとか、
それ単純にSoundCloudのURL貼っつけてツイートすれば終わるじゃん!って
サービスを作っちゃうんだろうなって思います。

なんとなくそんな光景を見ていると、
ICカード乗車券が鉄道各社ごとに乱立しちゃっていみわかんなくなっちゃってる現状とか、
かつて誰得な独自仕様を導入しまくっていたガラケー市場を連想するのでした。

「吸盤」みたいなプロダクトや作品を堂々と作れるクリエイターになりたいっす。

俺得

最近、僕って器用貧乏だなー…って強く思います。
今、こうして制作で色々声を掛けてもらえるのって、
そこそこ色んなテイストのデザインができて、
そこそこソフトが使えて、
そこそこのクオリティーのものを作れるからに過ぎないんじゃないかって。
本当は自分のフェティシズムは凄くあって、、

高校までは、自分のフェチに正直に、好き勝手色んなものを作っていました。
その中で何となくだけど、
自分はまぁまぁカッコ悪くて、結構ダサい人間だっていうのは自覚していて、
かっこいいものをストレートにかっこよく描くことに関しては、
イケイケクリエイターやアーティストには絶対敵わないんだな
ってことに気づきました。

世の中は「潜在的にかっこよくなり得るもの」に溢れていると僕は思います。
クソみたいにファッションセンスの無い高校の教科担任、
品川、
Windows98のスクリーンセーバー、
手書きの部活動勧誘ポスター、
ネットに落ちてるダサい年賀状素材。
一般的にダサい、とされていたり、
デザイン性が求められていなかった分野を凄くかっこよく描きたいんです。
ストリートカルチャーや、ファッション、音楽、
こんなの、元々カッコよくて当たり前。
だけど、ダサくて当たり前のものが思いもよらずカッコよく見えた時、
本来相反するものが共存している、
そのギャップに、なんとも言えない高揚感を感じるんです。
ダサカッコイイ、というのも何か違っていて、
一般的にダサくても気にされなかったジャンルの表現に
かっこ良さやデザイン性という要素を持ち込みたいというか。

忙しさ

「最近結構忙しいんだよね」って言われると、すこし嫌な気分になる。
目の前であなたに割く時間は無いですよって言われてるみたいで。

そりゃ大の大人みたいに、義務や責任を常に背負っているような人が
僕みたいな学生相手に言うのなら、仕方ないなぁって思う。
だけど、同じ学生がそれを使うのって、ちょっと違和感がある。
だってそれ、好きでやっていることでしょ?

「TSUTAYAでめっちゃDVD借りたんだけど、
明日返却日だから今日中に全部見なくちゃいけない」
っていう状況を、忙しいって表現する人なんていないじゃないですか。
同じ事だと思う。

僕も暇人を蔑視するようなニュアンスで忙しいとか言いまくってました。
典型的な大二病ってやつ。
だけど、結局自分だって暇人。
暇人だから大学いけるし、バイトで食っていけるし、学生団体だってできる。
確かにスケジュールが埋まってるって意味で「忙しい」てことには変わらないけど、
だけどそれって、決して嫌な「忙しい」じゃない。
だから、人には「忙しい」とだけ言わないように心がけたいと思います、うん。

なんか、「自分で勝手に忙しくなってるだけ」って意味の言葉作ってくれないかな。

博愛精神

僕の作品なんて世の中にあっても無くてもいいと思ってます。

別に自分のやろうとしていることは、「誰かがやらなくてはいけないこと」ではないし、
作品が世の中に貢献できるか、って言われると、自信を持って「そうです」なんて言えない。

だから、自分の作品は、見てくれた人にとって、人生のおまけ程度になれればいいなって思ってます。
だって、基本的に誰かの役に立ちたいからなにかを作っているんじゃなくて、
純粋に作ることが好きなのと、
あとは自分の作品でみんなが盛り上がったり面白がってくれるのを傍からニヤニヤしたいから
勝手に作ってるだけのことだからです。
クリエイターとしての博愛、みたいなのは今のところ全くないです。

ただ、自分の持ってる独特のフェチや感性を
ある程度多くの層の人たちに受け入れられるような形で発信して、
世の中のメインストリームの裾野を少しでも広くしていけたらいいなって思ってます。

あと、同じ作り手の人たちにも刺激になるような、
ちょっと具体的に言うと、いい作品を作ること以外の事に気を取られて、
たいした面白くないもの作ってる人たちが限りなくダサく見えるような、
オルタナティブで新しいものを作っていけたらと思ってます。

なんちって。

カノン

お気に入りのカノンの動画貼っておきます。

エレベータ・ピッチ

エレベータ・ピッチという言葉を耳にしたことがあります。
起業家がたまたま投資家とエレベーターに乗り合わせたその数十秒で
自分のビジネスプランを説明しきれるかどうかでビジネスの明暗が分かれるという概念。
これは僕みたいなクリエーティブで食っていきたい人でも誰でも同じで、
「自分の能力・やりたい事を簡潔にアピールする力」って、
とても重要なんじゃないかって思います。
そう、簡潔ってトコが重要ですよね。
飲みの場で何分もだらだらと自分について語り続けることなんて、そりゃ誰だってできます。
だけど、数十秒という時間で自分を説明するのは思った以上に難しい。
どうしても自分という存在が凡庸な言葉に置き換えられてしまうのです。

「映像作っています。世の中に新しいモノを発信していきたいです。」

とかありきたり過ぎて目にも留めませんよね。
自分の個性を過不足なく伝えるということは、
普段から自分は社会においてどういうポジショニングで何を発信していきたいのか、
ということについて考えていないと出来ないコトなんですね。

難しー

Nコン

NHK放送コンテストの全国大会を見てきました。
あまり過去の栄光(?)にすがるのは良くないと分かっているんだけど、
あれから早一年かーって、感慨にふけちゃいます。

僕自身の創作に対するスタンスがとても揺らいでいます。
高校の時は、早くテスト勉強なんかから解放されて、
四六時中クリエイティブだけを考えていたい。
部活動なんて制約された環境じゃなくて、
もっと自分の好きなことをやりたい。
放送の分野よりも、自分には表現としての映像が合っているんだ。
なーんてことを心にぼやいていたわけです。
けど、今じゃ全部真反対なんだよね。

(さらに…)

面白さ

朝、電車でiPodを聞いていたら、ふと奥華子の『初恋』が流れてきました。
僕は恋愛ソングになんの感動も覚えないタイプなのですが、
ふと感慨にふけてしまいました。
というのは、高校で放送局をしていたころ制作した番組で
このインストゥルメンタルを使ったからです。
ちなみにその番組は(奇跡的にだけど)全国大会で最優秀を頂けました。

ほんの一年前のことだけど、
その時を思い出すと、自分って制作に対して随分とピュアだったなぁって思います。
と18歳が言うのもヘンな話ですが…(^^;)
だけど、僕はただ、目の前の視聴者を面白がらせたかっただけでした。
それは医者が、「患者さんの『ありがとう』が何よりの励み」と言う感覚ではなくて、
もっともっと幼稚で短絡的な願い。
自分の作品を観てくれた人がゲラゲラ笑ったり、歓声を上げたりするのを
傍からニヤニヤして眺めることが最高に愉快だったんです。

(さらに…)