Baku Hashimoto

橋本 麦

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Diary

忙しさ

「最近結構忙しいんだよね」って言われると、すこし嫌な気分になる。
目の前であなたに割く時間は無いですよって言われてるみたいで。

そりゃ大の大人みたいに、義務や責任を常に背負っているような人が
僕みたいな学生相手に言うのなら、仕方ないなぁって思う。
だけど、同じ学生がそれを使うのって、ちょっと違和感がある。
だってそれ、好きでやっていることでしょ?

「TSUTAYAでめっちゃDVD借りたんだけど、
明日返却日だから今日中に全部見なくちゃいけない」
っていう状況を、忙しいって表現する人なんていないじゃないですか。
同じ事だと思う。

僕も暇人を蔑視するようなニュアンスで忙しいとか言いまくってました。
典型的な大二病ってやつ。
だけど、結局自分だって暇人。
暇人だから大学いけるし、バイトで食っていけるし、学生団体だってできる。
確かにスケジュールが埋まってるって意味で「忙しい」てことには変わらないけど、
だけどそれって、決して嫌な「忙しい」じゃない。
だから、人には「忙しい」とだけ言わないように心がけたいと思います、うん。

なんか、「自分で勝手に忙しくなってるだけ」って意味の言葉作ってくれないかな。

博愛精神

僕の作品なんて世の中にあっても無くてもいいと思ってます。

別に自分のやろうとしていることは、「誰かがやらなくてはいけないこと」ではないし、
作品が世の中に貢献できるか、って言われると、自信を持って「そうです」なんて言えない。

だから、自分の作品は、見てくれた人にとって、人生のおまけ程度になれればいいなって思ってます。
だって、基本的に誰かの役に立ちたいからなにかを作っているんじゃなくて、
純粋に作ることが好きなのと、
あとは自分の作品でみんなが盛り上がったり面白がってくれるのを傍からニヤニヤしたいから
勝手に作ってるだけのことだからです。
クリエイターとしての博愛、みたいなのは今のところ全くないです。

ただ、自分の持ってる独特のフェチや感性を
ある程度多くの層の人たちに受け入れられるような形で発信して、
世の中のメインストリームの裾野を少しでも広くしていけたらいいなって思ってます。

あと、同じ作り手の人たちにも刺激になるような、
ちょっと具体的に言うと、いい作品を作ること以外の事に気を取られて、
たいした面白くないもの作ってる人たちが限りなくダサく見えるような、
オルタナティブで新しいものを作っていけたらと思ってます。

なんちって。

カノン

お気に入りのカノンの動画貼っておきます。

エレベータ・ピッチ

エレベータ・ピッチという言葉を耳にしたことがあります。
起業家がたまたま投資家とエレベーターに乗り合わせたその数十秒で
自分のビジネスプランを説明しきれるかどうかでビジネスの明暗が分かれるという概念。
これは僕みたいなクリエーティブで食っていきたい人でも誰でも同じで、
「自分の能力・やりたい事を簡潔にアピールする力」って、
とても重要なんじゃないかって思います。
そう、簡潔ってトコが重要ですよね。
飲みの場で何分もだらだらと自分について語り続けることなんて、そりゃ誰だってできます。
だけど、数十秒という時間で自分を説明するのは思った以上に難しい。
どうしても自分という存在が凡庸な言葉に置き換えられてしまうのです。

「映像作っています。世の中に新しいモノを発信していきたいです。」

とかありきたり過ぎて目にも留めませんよね。
自分の個性を過不足なく伝えるということは、
普段から自分は社会においてどういうポジショニングで何を発信していきたいのか、
ということについて考えていないと出来ないコトなんですね。

難しー

Nコン

NHK放送コンテストの全国大会を見てきました。
あまり過去の栄光(?)にすがるのは良くないと分かっているんだけど、
あれから早一年かーって、感慨にふけちゃいます。

僕自身の創作に対するスタンスがとても揺らいでいます。
高校の時は、早くテスト勉強なんかから解放されて、
四六時中クリエイティブだけを考えていたい。
部活動なんて制約された環境じゃなくて、
もっと自分の好きなことをやりたい。
放送の分野よりも、自分には表現としての映像が合っているんだ。
なーんてことを心にぼやいていたわけです。
けど、今じゃ全部真反対なんだよね。

(さらに…)

面白さ

朝、電車でiPodを聞いていたら、ふと奥華子の『初恋』が流れてきました。
僕は恋愛ソングになんの感動も覚えないタイプなのですが、
ふと感慨にふけてしまいました。
というのは、高校で放送局をしていたころ制作した番組で
このインストゥルメンタルを使ったからです。
ちなみにその番組は(奇跡的にだけど)全国大会で最優秀を頂けました。

ほんの一年前のことだけど、
その時を思い出すと、自分って制作に対して随分とピュアだったなぁって思います。
と18歳が言うのもヘンな話ですが…(^^;)
だけど、僕はただ、目の前の視聴者を面白がらせたかっただけでした。
それは医者が、「患者さんの『ありがとう』が何よりの励み」と言う感覚ではなくて、
もっともっと幼稚で短絡的な願い。
自分の作品を観てくれた人がゲラゲラ笑ったり、歓声を上げたりするのを
傍からニヤニヤして眺めることが最高に愉快だったんです。

(さらに…)

あー

やっぱり美大って、何かしらの創作意欲を持った人が集まってくる。
もちろんそうじゃない人もいるけれど、
そういう人だって面白い趣味を持っていたり、
すっごい絵が描けたり、
やっぱり何かしら凄いモノを持っている。

じゃあ僕に何が出来るかって考えてみたら、

….映像制作の経験が既にある?

….元々理系で、工学系の知識もある?

いや、映像科で映像やったことがあるんだったら十分すげぇじゃん!
って自分に言い聞かせたくなるんだけど、
なんでそんなにビクビクしているかって言うと、
現時点でこれだけの発想力や感性を持っている人達が
自分のアイディアをそのままの形でアウトプットできるだけの
ノウハウや技術を身につけたとしたら、
果たして自分には何が残っているだろう、
って思っちゃうからなんだよね。

僕自身は、自分が作ったりディレクションしてきた作品が
大会や地域でそれなりに評価を得てきたのは
単に技術力があったから、ではなくて
それ以上にアイディアの力が大きいんだ、
って思っていたりする。
勿論それは高校放送局っていうアマチュアのレベルではの話。
僕が目指しているプロの世界では評価される閾値はぐんと高くなる。
あー

ツール

自分では、
何にも束縛されない自由な状態での発想を
出来る限りそのままアウトプットするために、
技術やテクニックを身につけているつもり。

「空中を飛び回るUFO」の映像を
マッチムーブや3DCGを扱えないから、
なんてつまらない理由で諦めてしまうことが
勿体なくて溜まらないわけ。
して僕の場合、ディスカバリーチャンネルやSFモノが好きだったから
頭に思い描く映像はいつも制作する上での難易度が高い映像ばかり。

だから、審査員の方に
技術に走っている、
学生らしからぬ、
的な感想を述べられたとき、
いわれないような無念さを感じてきた。
自分ではそんなつもりはないんだ。
ツールありきで表現を詰めてきたことは一度も無いし、
技術力を見せびらかしたくて映像をしているワケじゃない。
ただ自分の思い描くイメージを
そのままの形で映像化したいために
ツールの力を借りているだけなんだ。
そう心のなかで反論してきた。

だけど、
いざ自分からツールを取り去った状態で映像を撮ってみて、
ああ、
自分っていつの間にか
ツールを使うことを前提とした発想しかできないんだなって
痛感した。
弘法筆を選ばず、なんて言うけれども、
良い筆を使う事に慣れすぎて
100均で買った安い筆しかない状態で、精一杯良い表現を求めてあがくことを忘れてしまったんだ、
とでも言うのかな。(笑

頑張ろー

伝える責任

不謹慎な話かもしれません。

高校で放送局をしていたころのハナシ。

全国大会でドキュメント部門を見ていました。
その時なんだか腹が立ったのが、
テーマが「戦争」だとか「障害のある方」になった瞬間に
その番組をツマラナイと言うのがタブーになること。

大事なことだよ?
社会的問題に対して関心をもたなくちゃね。

そんな無言の圧力に
ただ「とても考えさせられました。」とでも
無難に感想を述べることしか許されない。
あたかも、そのような感じがしました。

別に「戦争」や「障害のある方」というテーマ自体に
興味がないわけではありません。
ただ、NHKのプロの方々のドキュメンタリー番組を
人並みに観てしまっている僕にとって、
高校生が作った番組から得られるものは
ほとんどなかった、それだけです。
(もちろんそのテーマを取り扱っていながら、
独自の始点で切り込んだ、
素晴らしい番組もありました。)

度々耳にする評価。
「高校生が社会的問題についてここまで興味関心を持って調べたとは
素晴らしいことだ。」
そう言えるのは、
高校生という年代を客観的に捉えられる年齢になった大人だからであって
同じ高校生だった僕からは、
だから何?
で終わってしまうものです。
というかそもそも、
それは作品そのものに対しての評価ではない気もします。

僕達って、思っている以上に残酷だと思います。
正直に言えば、
僕は悲惨な戦争の歴史や、
街のバリアフリー化よりも、
iPhone 5の発表の方が気になります。
頭では分かっています。
過去の過ちは二度と繰り返してはいけないこと。
障害のある方々の苦労。
それは一企業の一製品の動向よりも
ずっとずっと重要であると。
ただ、戦争を直接体験していない世代に、
五体満足で生まれ、不自由なく育ってきた僕にとって、
その大切さを「常識」としてでなく、
「本音」として理解することは
とても難しいのです。
それは僕ばかりでは無いと思います。
誰しも、少なくともそういう残酷さを持ち合わせているはずです。
修学旅行にて、原爆について講演が終わった後、
多くの生徒と、そして一部の先生も眠っていたことから考えても。

だから、戦争や障害といったテーマの
「スルーできない」という性質に依存し続ける限り
本当の意味で、見る人の本音に訴える番組には成り得ないと思います。

重いテーマを取り上げるには、
相応の責任を負わなくてはいけません。
それは「視聴者に、その重大性を伝える」という責任です。
正直な話、見ている人全員が、
心の底からそのテーマについて関心があるわけではありません。
そういった人たちを振り返らせて、
メッセージを伝えていくだけの力量が
番組には求められるはずです。
でないと、その当事者の方々に失礼です。
テーマがテーマなだけに、
小学校の頃道徳や社会の時間で見せられたビデオと
似たり寄ったりなまとめでも押し付けて
見る人に「とても考えさせられました」と
表面上で納得させることは容易いかもしれません。
しかし、そうであってはいけない。
番組に精一杯の工夫を凝らして、
本音に訴えかけるものにしなくてはいけない。
全国大会の夏、そう感じずにはいられなかったのです。

                    

上手く文章にまとめられなかった。
共感してもらえるかなぁ、このモヤモヤ感。

シニシズム

時々、馬鹿な考えだけど、
本気でいることが不恰好に映るんじゃないか、
なんて不安になる。
成長段階にある僕が
中途半端な持論を晒したところで、
中途半端な作品をアップしたところで、
所詮「滑稽」の一言で片付けられるのかもしれない。

そんな時、ふと友人が、
「そういうのを冷笑的に見る人は成長しないね。」
と一言。

なるほど。