Baku Hashimoto

橋本 麦

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Diary

ブラックホールの大きさ


My theory on how the universe was created – Data Politics

ふと思い出したんだけど、ブラックホールの大きさは「半径」じゃなくて「円周」で表さないといけない、ってインターステラーの原作(?)に書いてあった。

よくこども百科とかニュートンに、ブラックホールを、超重いパチンコ球の周りが鋭いすり鉢状に沈み込んだゴム膜で表してる図があったりするが、「この坂道を転がっていく力が重力だよ」っていう解釈は間違っているらしくて(このゴム膜を歪ませてる力も、坂道を転げ落とさせる力も重力なワケで、再帰的に何も説明してない)、ただ、重力が周りの空間に与える「たるみ」の模式図としてはあながち間違っていないらしい。

円錐で考えたらわかりやすいが、重力のある天体を周る軌道半径とその軌道の長さは常に 2πr > c になってしまう。(半径も直径も、歪んだゴム膜の表面にメジャーをあてがって測らなくてはいけない。) そして、地球規模の天体はそのズレは無視できる程度なんだけど、時空の歪みが極端なブラックホールでは、その差は無視できないほどになるのだそうだ。

ガルガンチュアも、その見た目の大きさに反して、その内部にずっと大きな「半径」を持っている、って想像したらめちゃくちゃ怖いし、だけどその怖さってキライじゃない。

artcode

ArtとCodeが二項対立で語られるのは凄く違和感がある。言い換えれば「美的センス&デッサン力」のようなもので、元からお互いに干渉しあっている、渾然一体としたものなわけだから、いまさら融合もクソも無い。

っていうのが僕個人の感覚だ。2割位は「ITネイティブ」感を自己演出してオッサンをビビらすために言っているような気もするし、だけど多分本音だと思う。

確かに僕の場合は「5・6年生にもわかるJavaScript」を勉強し始めた時期と、なぜか爺ちゃんが知人から譲り受けたクラック版Photoshop 6(ご丁寧にCDラベルまで自作してプリントしてあった)を触り始めた時期は一緒だったし、厨二の頃「真のハッカーは、科学、プログラミング、文学、アートの全てがより高次の創造的遊戯に融合されがちだったりする」みたいなこと言ってる文に感化された経験も、そういう価値観の形成のルーツとしては大きいかもしれない。

Art&Codeなんて自明じゃないか! って言い切るのはさすがに無理があるとしても、CGやフィルム技術、リトグラフや花火、さらには染色や鍛冶の技術もかつては「Code」的な存在だったように、Codeも自然と「工芸」的な佇まいになっていくだろうし、Coderもこの数十年で「職人」になっていくのだろう。

だから、ArtとCodeを峻別する感覚自体が無い人こそがArt&Codeな人間なんだろな、と思うし、僕もその一端でありたい。少なくとも、両者を「&」で繋げてドヤる人に「Art&Code魂」は感じない。

等圧線

天気予報の、動く天気図のアニメーションを観る度結構考え込んでしまう。

気圧のマップを階調をポスタライズして輪郭検出するにも、前のマップから今のマップまで単純にフェードでつないだとて、低気圧の穴の先端部分がそのまま動いていくようには見えないし(穴が消えてそのすぐとなりに別の穴が出来るように見えるはず)、前線を動かすのも難しい。

僕らがAEでスプラインアニメーションを作ってるみたいに、技術的には難しくは無いんだろうけど、天気予報士さんでもデータを入力出来るようにどうシステム化するかとか、そういうアレコレを思いながら観てると、天気予報が物凄く面白く思えてくる。

で、多分難しく考え過ぎなんだろうなこれ。

ファッション

ファッションセンスでナメてくるかどうかで、逆にファッションセンスで人をナメるような人かどうか判断出来るから、ダサいのは得。

服以外にも、インテリアやステーショナリーみたいに、拘りがファッションになる分野は多々あって。個人的には一般人がファッションと感じる分野にたまたま関心が無い代わりに、一般人の服やインテリアに対する拘りと同じ位のそれをテキストエディタの環境設定やC4Dのワークスペースに感じてるというだけで。

服がオシャレな人に限って、ダイソーで売ってるプラスチックの引き出しを使ってたり、VAIOのプリインストールアプリがデスクトップを埋め尽くしたりしてる訳で、自分や他人にとって「何に拘る事がファッションなのか」を相対化出来る位にリテラシーやセンスのある人かどうかを、自分がダサくなる事でリトマス紙的に判断出来る。

っていう自己欺瞞を思春期の頃から続けてる

透視法

Cinema4Dで、バーテックスシェーダも自分で書けるようになったら良いんだけどな。自分で新しい透視法を作れる。


遠くのものほど大きく見える って透視法があったって良いし、アイソメとか平行投影系の映像はそこそこ増えてきちゃっているから、ルックとモーションと、透視法まで毎案件デザイン出来たら最高に俺得だ。


ってか実際にあった。これ凄くいい


「遠くのもの程小さく見える」ってのは、自明な事に思えて、角度でものの大きさを捉えるレンズ眼の性質でしかない。例えば平らな網膜の上に細いストローの束を載せたような構造の眼があったとしたら、世界はストロー束の幅分の視野を持つ平行投影図に見えるだろうし。


言っちゃえば近くのもの程解像度が必要ないきものにとって、レンズ眼の性質は合理的だし、フォーカスという概念がない代わりに、同じ大きさのものは距離に関係なく同じ大きさで結像する平行投影図はあまりメリットがないんだろうな。


このアカウント、逆透視法(?)めちゃくちゃ研究してて面白い Maya用プラグイン作ってる。


これはちょっと違うけど面白い。

アイディアもの

「アイディアもの」って、「アイディアもの」っぽいトーンが確立してる感じが好きくない。

これはバレットタイムだ、3Dプリンターだ、ワンカットだ、とか、アイディアが言語情報として頭に入ってくる作品じゃなくて、
アイディアやルック、音と映像のグルーヴが一体となって「佇まい」として記憶にこびりつく作品が好き。

だから、そのアイディアを説明するためのカットが挿入されてる作品とかすごくダサいと思うし、そのアイディアを取り入れた事で作品の佇まいが変化していかないと何の印象にも残らないし、こう、昨今の「アイディアもの」にありがちなトンマナに触れる度どこかモヤっとする。

このMV、テクネ感は無いけど思想的にテクネ的だと思ってる。

そしてDirk Koy監督の作品、僕以上に僕のフェチを知ってる感じが怖い。


ちなみにこの人の習作集の中に、このMVのルックの元になったと思われるFlashがあった。2段目中央。
Equipo – Visuelle Kommunikation


これも「クラウドソーシング」だけど、佇まいがある

「時間操作」

ギーク女子

アイドルやレイヤー、ミスキャンにプロウグラミング能力をちょい足しした感じじゃなくて、喪女でナードなギーク女子にこそ活躍して欲しい キャッチーな奴が目立っていくんじゃなくて、ただひとつ成果物のみで評価されるような空気感が広まって欲しい

と思ったけども、チーム内に居ることによって上がる男性の士気と生産性で、コーディング能力の大した事なさをペイ出来るだけの顔の良さがあったら結果的に貢献している事になるのか、とも考えちゃって だけどそういうのなんか、すごく悔しい

FITC Tokyo 2015

mag0c0roさんがシェアされてたFITCのOP、久々にグッときた。この動画をツマミに一晩飲めるくらい語れるネタ多いし、興奮して寝れなくなった。インターステラーの重力レンズ効果初めて見た時の8割くらいソワソワする。

互恵的利他主義

制作で作ったツールをサクッとGitHubに上げたり, 作品やプロジェクトファイルをCCライセンスで公開しちゃう感じが,文化人とかアーティスト然としているよりも自分の中ではずっとカッコ良くて

柴幸男も去年あたり全戯曲アップしてたけど,そういう互恵的利他主義な空気感はハッカー文化やフリーカルチャー界隈に限らずどんどん伝染していけば良いなとか思ってる

フラットデザイン


source: 小さな喫茶店:WEB2.0風 ボタン アイコン素材 (作ってみた。) – livedoor Blog(ブログ)

一時期のWeb2.0的デザインの過度な「リッチ感」に対する反省と、ユーザーの学習によってデスクトップメタファーやスキューモーフィズム自体が用済みになったことからの反動で生まれたトレンドが、フラットデザインで。削ぎ落とすべきは「必要のないリッチ要素」で、決して無差別にフラットにすれば良いって訳じゃないと思う。

何が言いたいかというと、物理的なヒントは残した方がいいんじゃないかなぁ、って話。

ボタンはやっぱり飛び出て見えた方が良い。「あ、ここ押し込めそう」って直感的に分かるから。上に重なったパネルにはドロップシャドウがあったほうが良い。「影が落ちてる方が下なんだな」と分かるから。上下にオーバーフローしたボックスの内側にもシャドウが欲しい。「まだ上下に隠れて見えない部分があるんだな」と分かるから。

ブリーフケースやメモ帳というメタファーが必要でなくなったとしても、テカリや鏡面反射は余計だったとしても、物理的な性質・位置関係によるヒントはもうしばらく有用な気がする。だって「ただの文字だけど、SUBMITって文字的に多分ここはボタンだな?」って類推を効かせるより、いかにも「ボタン!」って感じがしてた方がずっと分かりやすいじゃん。

そういう意味で、Material Designは、フラットデザインのミニマリズムと、物理的ヒントがもたらす直感性のイイトコ取りしてて良さある。


Webデザインやってると、やれpushStateだの、CSS3 Transitionだの、シングルページだの、血眼になって新しいトレンドを追いかけがちだけど、ぶっちゃけ素人目には、そういう1・2年単位で移ろう「イケてるWebデザイン」なんか気にもとめない気がする。

むしろ、僕個人は、そういう「イケてる感」を醸したい時って大概、同業者への「ちゃんとトレンドについてこれてますよ」アピールをしたいって煩悩に支配されてる時だったりする。

そんなことよか、ブラウザゲーでもない普通のサイトにローディング画面なんて付いてほしくないし、これはボタンか? リンクか? テキストボックスか? とかいちいち迷うくらいならはっきり見た目に差をつけて欲しいし、なにより軽いページであってほしい、ってのが一般ピープルの本音なんじゃないかなと思った。

ロングシャドウデザインは論外。