橋本 麦∿Baku Hashimoto

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Diary

After Effectsに求めること (妄想)

  • コンポジション毎にレンダリング設定, 出力パスを保持できる
  • ↑に加えて, 静止画書き出しの設定も保持できる
  • 出力パスのテンプレート文字列に, 日付フォーマット追加
  • コンポジションのレイヤーのフォルダ機能
  • Bool値のキーフレームは, 形状や色で真偽を判別できる
  • プロジェクトファイルごとに, 連番のデフォルトFPSを設定できる
  • レイヤー選択状態でショートカットキーでSpotlight的な小窓が開く. インクリメントサーチでエフェクトを追加できる (C4DのShift+Cに相当)
  • エフェクト&プリセット フォルダ名でも絞り込めるように. (ベンダー名の検索にも対応)
  • レイヤーインスタンス機能. エフェクトを加えた調整レイヤーなどを, そのままインスタンスとして複製でき, 他コンポジションで再利用できる. 元の調整レイヤーを変更すると, インスタンスに反映される.
  • AEP同士のDiff, マージ機能
  • ExtendScript, ES6とCommonJSのサポート
  • コンソールウィンドウ

新しいコンポジションの種類

子コンポジション

普通のコンポジションから, 再利用性を一切抜いたもの. 特定のコンポの中に, 一度のみ使われる.
TCも親コンポに同期していて, プロジェクトパネル上でも親コンポの子要素として表示される. フォルダ機能にも近く, 親コンポのレイヤーパネルの中で, Finderのツリー表示よろしく展開することもできる.

クラスコンポジション

普通のコンポジションは再利用性がある一方, 再利用先のコンポ内でそれぞれに別の見え方になるような設定を個別にできなかった. クラスコンポジションは, よりコンポジションを抽象化することで, そういった問題を解決する. コンポジション自体に, カスタムプロパティを設定できる. 「コントロールエフェクト」をコンポジションに追加できるイメージ. そのプロパティはエクスプレッションを用いてコンポ内のレイヤーのプロパティとひも付けることができる. 再利用先の親コンポから, クラスコンポジションのカスタムプロパティを設定することで, クラスプロパティ内のレイヤーを再利用先から間接的に制御できるようになり, ある種のカプセル化が可能になる.

2016.Jun.18

メディアアートやcreative codingは, ワークフローや技術へのニッチな興味・研究をファッションライクに表現する捌け口になっている側面もある気がするので, コードをコードとして, 論文を論文として発表出来る人は個人的に煩悩を断ち切っていてかっこいい気がする.

2016.Apr.10

世の中の結構な割合のマナーが, 「別に知らなければ守られなかろうが何とも思わなかったけど, そういうものだと教えられて表面的に従っているうちに, 感情としてマナー違反を見るとムカつくようになってしまった人達」をムカつかせないために維持されているし, それがマナーを守る根拠たりえるのがこわい.

結構な割合の性的魅力が, 「 天敵にくわれない程度に足が速い」みたいな実利的効用以上に, 「その形質がその社会において性的魅力としてみなされている」ということ自体がそれを性的魅力たらしめている, ってのも似てる気がする.

こういうのをうまく抽象化して説明できる知識がないから辛いのだけど, なんてか, 最初は何か直接意味のある所から始まった概念が, フィードバック性を持ってその概念を補強し続けるうちに形だけが残って一人歩きしていくような現象が全体的にこわい.
非常識な行為を, 「非常識である」ということを根拠に批判するのとか, よくよく考えたらすごく奇妙なことで.

とはいっても, クチャラーへの嫌悪感が, たまたまそういう文化に生まれたから後天的に形成されたものに過ぎないんよって説明されたとしても, クチャラーが嫌なんは変わらないけど.

ビジュアル・プログラミング

Final CutもAdobeもCinema4Dも、コードを介さないビジュアルプログラミング環境とみなせば、デザイナーも映像作家もある意味でプログラマーだ。本業のプログラマーとの違いは、どこまで低レイヤーまで自分でコントロールしたいと思うか、の精神性の違いでしかない。

映像をつくるためにアセンブラから書くのは流石にしんどいので、誰かが作ったプログラムのうち、GUIとして表示された限定的なパラメーターを調整することに留めている。つまるところ、デザイナーとしてのぼくらは日常的に「低次の特徴量を弄り倒す自由度と、高次の特徴量チューニングの容易さ」との天秤で、どちらかというと後者に重きを置いている。局どの部分をカプセル化して, どの部分をデザイナーがコントロール出来るようにUIに落とすかは、ツール設計者の恣意に委ねられている。

一番怖いのは、そうとも知らずに、そうして外部化されたパラメーターだけがコントロールできる全てだと勘違いしてしまうことだ。それってのは、開発者都合で設定されている制約を、制約として意識すらしないことだ。

映像ソフトの殆どは、並列処理がし易いよう、現在のフレームを生成するために前後のフレームに依存するような処理を許さない仕様になっている。ゆえにクレイアニメのような作り方や、ビデオシンセサイザーのフィードバック回路のような仕組みをそもそも選択肢として思いつかないように習慣づけられている。UVリマップやディスプレイスメントマップについて考えてみても、大概ピクセルのオフセットがX, Y軸の直交座標値として解釈される。例えば2つのチャンネルを極座標方向の変形として処理するだけで面白い風合いのグラフィックが出来るのかもしれないのに、その可能性にも気づけない。

そういうちょっとした引っ掛かりがいちいちストレスに感じるので、AEとかCinema4Dを従順に使うのではなく、スクリプトやプラグインを書くことでほんの少しだけ低レイヤーな部分から弄ってやろう、というのが自分の制作態度だ。もちろんそれでも完璧なコントロールが出来ているというわけではなく、openFrameworksだったりThree.jsなど、例レイヤーな仕組みを分かりやすくラッピングしたシステムのごくごく高級な部分を触ってるだけに過ぎない。

「プログラムで映像作るニュージェネ」という印象を持って頂けること自体は別に否定するつもりは無いし、そもそも自分を認知して頂けるだけで有り難い。ただ自分の肌感覚として、プログラミングと映像の融合といったものを意識してるつもりは無いし、そもそも理系と文系、デザイン思考とエンジニア思考を二項対立的に捉えてしまう時点で、なんか筋が違うんだよなぁ、とふんわりと思っている。

2016.Feb.21

形骸化した作法を「そういうものだから」と疑うことなく受け入れること以上に、「理屈の上では無意味かもしれないけれど、『そういうものだから』と考える人もいるから一応はそうすべきだ」っていう考え方こそがそのクソ作法を生かし続けるのにずっと大きく加担してるんだと思う

性的対応表

何かかしらの拍子に偶然トレンド入りした「性的対応表」という謎のことばを見た人が, 「『性的対応表』がトレンド入りしてるんだけどどういう意味なんだろう」と反応することが「性的対応表」のトレンド入りを持続させる, っていう現象, 面白い. なんとなく鮫島事件を思い出すけど.


検索のサジェスチョン機能でもこれに似た構図の現象がある. 例えば「イソタ―ステラ― つまらない」が一度サジェスチョン候補に入ってしまうと,

って反応をする人がいて, そのことが却って「イソタ―ステラ―」と「つまらない」の関連度を強固にしてしまう.

と俯瞰的に語るツイートすらも関連度に貢献している.

という僕のこの記事も, クローラに拾われて, Google検索の「イソタ―ステラ― つまらない」の関連度をほんの少し強めてしまうことに貢献してしまうとファンとして悲しいので, 「イソタ―ステラ―」って敢えて書いたんだけど, 多分表記ぶれ補正されてしまうので意味がない.

2015.Dec.17

異業種コラボレーション とか銘打ったとて, 表面上のスキルやトーンは違ってても, 結局意識の高さレベルとか, そのシーンにおけるスタンスや切り口はトポロジー的に同じ(適当な意味で使ってる)なことが多い気がする, 全く悪気なく, 僕の高校時代レベルのリテラシーで比較すると武田双雲とチームラボはトポロジー的に同じ.

一方のシーンからするともう片方のシーンはすげぇ内輪臭くてゴミみたいなクオリティに映って, もう片方からするとツルッツルに均質化された酷くコマーシャルでつまらない世界に映って, しようと思えばお互いのシーンを別に無視できる位, 要するに「ノリ」の違うシーンの人と作って初めて見えてくるものがあるし, 自分のシーンにおける粋と野暮, ナウさとダサさをより俯瞰視点で相対化できる気がする.

それが小劇場とテニミュなのか, EDMと奥華子なのか, バーグハンバーグバーグとユーフラテスなのか分からないし, 双方のシーンにとって意味のわからないものになる可能性もあるけど, 結果は置いといて, やってる当本人にとってはすごく実りのある体験にはなるんじゃないかなぁ.

ノガミカツキと映像作ってる時に思った. コラボレーションからのイノヴェーションだか何だか的な意識高いアレでも, 全然違うタイプだけど認めてるぜ的なマブダチ感を醸したい訳でもなしに, それは, わりかし率直に思う.

映像作ってる人の中でも, なんとなくアート・アニメーション界隈とかエナジードリンクにやたら詳しい界隈, クリエイティブ・コーディングみのある界隈とか, オモシロい其れ即ちクリエイティブな界隈, インターネット・ミーム大好き界隈, 政治的関心度高い界隈とかやたら細かく分断されてる感覚はあって(半径50mの話), 映像クリエイター飲みつってもそのクラスタを超えて集まることはあまり無かったりするのだけど, 多分そういうノリの違いこそ越えていくべきで, 「よさ」が単一のクラスタに閉じたサムいものにならない為には, そういう人と一緒に作っていくべきなんだと思う.

いちいち細かいインターネット感の違いを遠目にあざといなぁー思ったり, 無関心を装ったシニカルな目を向けていたりするのはただただ機会損失(この言葉選びにシニカルになるクラスタもある)でしかなくて, 個人的にすごく寂しいし, なんかもっと(自分含め)みんなナイスになれればいいのになぁって最近感じる.

おまつりトライアングル

性格悪いよね、というのは久美子が人の流れに沿っているようで、実はそうではないということを言いたいんだと思う。優しい顔をして心には毒を持っている。けれども、それは人を中傷するだけの悪口ではなくて、純粋に感じるシニカルな毒なんだ。

例えば大統領になりたいとか、宇宙飛行士になりたいと言う人がいるよね。それに対して「なんで?/どうやってなるつもりなの?/そんな困難なことをどうして夢見るの?」とクエスチョンマークを引っさげて悪意なく問いかける人は滅多にいない。麗奈は久美子の全国~の何気ない一言で、自分の信念を見直して再評価する機会を得たんだと思う。だから、麗奈は久美子の物の見方に興味があるんだ。

フロム・ディスタント:響け!ユーフォニアム 第8話「おまつりトライアングル」:海外の反応

2015.Nov.5

野良猫に餌をあげる近所の迷惑夫婦だったり, カーステレオでダサいEDMを爆音で流して疾走する兄ちゃんだったり, なんで今自分客観的に見たらすごくやなことやってるのに自覚できないんだろうなーって局面は結構あるけど, そういう人ほど, その人の立場からすると本心から善意でやっていたり, 本心からそれをイケてると思っていたりするわけで, それはちょうど, 僕らがゴミを拾ったりインターステラーの映像をカッコいいと思ったりするのと同じ位の確かさ・自明さで本人たちもそう信じているんだ, っていうのをちゃんと相対化して捉えないといけないなと感じる.

お前善意でやってるつもりだろ? その行為を咎められたらさぞかし野暮だなぁ思うだろ? はい, それ今お前, 野良猫に餌やる夫婦と同じな, って自分自身の行動を客観視できる程度に頭の良い人はなかなか居ない辛さ (多分自分もそう)

2015.Nov.1

作る側の人がそれに自覚的になりながら手動かすとサムくなるような要素って結構あって, ユルさとかマジキチさとかヤバさ, 変態さの類は, 今自分らこんな変なことやってまっせって意識してるうちは結果にもあざとさが滲む気がする.

その変な世界, ズレた価値基準が自分の中で当たり前に感じられる位に真摯に没入して初めて, 公理系として閉じた, 納得感のある変なものができると思うし, 日本語ハッシュタグ大喜利に興じる程度のリテラシー層以外のシニカルな奴らにも認めてもらえるものが作れるんじゃないかなって最近感じてる.