Baku Hashimoto

橋本 麦

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Diary

Controlling Unpredictability

In my view, what’s the matter of being ‘generative’ is controlling unpredictability. We were talking about this topic but I couldn’t explain my idea with my poor English.
To let some algorithm draw something is just one of tendencies that generative art has. However, if there’s no randomness in the algorithm, it just manufactures the same thing like a factory. I think being generative requires such an unpredictability rather than an algorithm. Much less programming.
Using watercolor could be generative. When I put it on a paper, it diffuses with (a sort of) randomness. Rorschach test also behaves unpredictably. But only randomness itself doesn’t turn into art. It’s just a chaos. To make it attractive as an art, we all have to understand the physics and law then control it.
Generative art might be similar to “bonsai”, I sometimes think so.

10 19, 2016

There are so many attractive events and encounters in here, but I always prefer to make something. What I’ve made is much more important than what kind of sociable person I am and it goes for anyone too.
Of course, it doesn’t mean I don’t like a community. Just like I’ve always done, It’s a fundamental behavior for me to contribute and commit to them. I’d like to say it’s more important for connection to be knowing one’s works and respect each other rather than whether we’ve met in somewhere before.

SFPC Day 1 : The layers of computing

It was a first day of the class. After introduced each other and had a lunch, there’s a robot standing in a center of the room (it was apparently Mushon Zer-Aviv, our teacher whether way I looked at it) Taeyoon said we have to ‘program’ the robot to exit the room. However, it didn’t move and just spoke “Can’t compute” when we ordered messages like “move” and “turn left”.

  1. Install packages including sensor, muscle, balancing system
  2. activate them
  3. define walk function as a sequence of moving of joints.
  4. execute walk

Through this session, I realized how I used to a highly abstracted layer of computing everyday. As Mushon said, it was still better that the robot has standard I/O such like the ability of listening and speaking. I reminded of Matz’s talk (the advocator of Ruby) and it was that he had to spend first half year to implement kinds of “cin” and “cout” in Ruby.

And then I assume we discussed the notion of “encapsulation” and “relation of layers in computer”. But my brain was so busy and not enough to understand their English😞

Anyway, it was so inspiring for me.

(btw, we also visited NYC Resister at night near our room and there were stunningly cool geeks and CNC mills.)

8 25, 2016

具体性に欠けた形をした食べものはかわいい。「料理」というよりは「材質」みたいな、なんかそういうボワッとしたもの。

ジェネレーティヴに何かする時, 意識すること

After Effectsに求めること (妄想)

新しいコンポジションの種類

子コンポジション

普通のコンポジションから, 再利用性を一切抜いたもの. 特定のコンポの中に, 一度のみ使われる.
TCも親コンポに同期していて, プロジェクトパネル上でも親コンポの子要素として表示される. フォルダ機能にも近く, 親コンポのレイヤーパネルの中で, Finderのツリー表示よろしく展開することもできる.

クラスコンポジション

普通のコンポジションは再利用性がある一方, 再利用先のコンポ内でそれぞれに別の見え方になるような設定を個別にできなかった. クラスコンポジションは, よりコンポジションを抽象化することで, そういった問題を解決する. コンポジション自体に, カスタムプロパティを設定できる. 「コントロールエフェクト」をコンポジションに追加できるイメージ. そのプロパティはエクスプレッションを用いてコンポ内のレイヤーのプロパティとひも付けることができる. 再利用先の親コンポから, クラスコンポジションのカスタムプロパティを設定することで, クラスプロパティ内のレイヤーを再利用先から間接的に制御できるようになり, ある種のカプセル化が可能になる.

6 18, 2016

メディアアートやcreative codingは, ワークフローや技術へのニッチな興味・研究をファッションライクに表現する捌け口になっている側面もある気がするので, コードをコードとして, 論文を論文として発表出来る人は個人的に煩悩を断ち切っていてかっこいい気がする.

4 10, 2016

世の中の結構な割合のマナーが, 「別に知らなければ守られなかろうが何とも思わなかったけど, そういうものだと教えられて表面的に従っているうちに, 感情としてマナー違反を見るとムカつくようになってしまった人達」をムカつかせないために維持されているし, それがマナーを守る根拠たりえるのがこわい.

結構な割合の性的魅力も, それ自体が直接もたたらす「 天敵にくわれない程度に足が速い」みたいな実利的効用以上に, 「その形質がその社会において性的魅力としてみなされている」ということ自体が性的魅力を性的魅力たらしめている, ってのも似てる気がする.

こういうのをうまく抽象化して説明できる知識がないから辛いのだけど, なんてか, 最初は何か直接意味のある所から始まった概念が, フィードバック性を持ってその概念を補強し続けるうちに形だけが残って一人歩きしていくような現象が全体的にこわい.
非常識な行為を, 「非常識である」ということを根拠に批判するのとか, よくよく考えたらすごく奇妙なことで.

とはいっても, クチャラーへの嫌悪感が, たまたまそういう文化に生まれたから後天的に形成されたものに過ぎないんよって説明されたとしても, クチャラーが嫌なんは変わらないけど.

ビジュアルプログラミング

デザイナーも映像作家もなにかかしらの形でプログラムにお世話になってて, FCPもAdobe CCもC4Dも, 拡大解釈すると全部ある種のビジュアルプログラミングだと思うので, あとはどこまで低レベルまで自分でコントロールしたいと思うか, の違いでしかないと感じる.

映像生成するのにアセンブラから書くのは流石にしんどいので, 誰かが作ったプログラムの限定的なパラメーターを調整することでグラフィックを作ってる, ということだと思うのけど, 結局どの部分をカプセル化して, どの部分をデザイナーがコントロール出来るようにUIに落とすかは, 結局プログラムの設計思想に依る所でしかなくて.

一番怖いのは, そうとも知らずに, そうして外部化されたパラメータだけがコントロールできる全てだと勘違いしてしまうことで, 開発者都合で設定されている制約を制約として意識すらしないことだと思う.

例えば映像ソフトの殆どは, 並列処理がし易いように, 前後のフレームの状態に対して差分を加えるような処理を許さない仕様になっているがゆえにクレイアニメのような作り方をデジタルじゃできなかったりする. UVリマップやディスプレイスメントも, 大概ピクセルのオフセットの方向がX, Y軸に限定されていて, 例えば2つのチャンネルを極座標方向の変形として処理するだけで凄い面白いグラフィックが出来るのかもしれないのに, その可能性にすら気付けなかったり.

そういうアレコレが, なんでこれが出来ないの!? といった調子でいちいちストレスに感じるから, AEとかCinema4Dをそのまま使うより, 少しだけ低レベルな部分から弄ろうとしているだけの話だし, それすらもopenFrameworksだったりWebGLだったり, 誰かが作ったシステムのごくごく高級な部分を触ってるだけに過ぎなくて.

「プログラムで映像作るニュージェネ」みたいな印象を持って頂けること自体は別に否定するつもりは無いし, まずそもそも自分を認知して頂けるだけで有り難いの一方で, 自分の中では別にプログラミングと映像の融合といったものを意識してるつもりは無いし(とか言ってしまうのは少し確信的でヤラシイけど), そもそも理系と文系, デザイン思考とエンジニア思考を対立的に捉えてしまう時点で, 可能性を狭めているなぁと, ふんわりと感じている, という話でした.

2 21, 2016

形骸化した作法を「そういうものだから」と疑うことなく受け入れること以上に、「理屈の上では無意味かもしれないけれど、『そういうものだから』と考える人もいるから一応はそうすべきだ」っていう考え方こそがそのクソ作法を生かし続けるのにずっと大きく加担してるんだと思う