Baku Hashimoto

橋本 麦

12 17, 2015

異業種コラボレーション とか銘打ったとて, 表面上のスキルやトーンは違ってても, 結局意識の高さレベルとか, そのシーンにおけるスタンスや切り口はトポロジー的に同じ(適当な意味で使ってる)なことが多い気がする, 全く悪気なく, 僕の高校時代レベルのリテラシーで比較すると武田双雲とチームラボはトポロジー的に同じ.

一方のシーンからするともう片方のシーンはすげぇ内輪臭くてゴミみたいなクオリティに映って, もう片方からするとツルッツルに均質化された酷くコマーシャルでつまらない世界に映って, しようと思えばお互いのシーンを別に無視できる位, 要するに「ノリ」の違うシーンの人と作って初めて見えてくるものがあるし, 自分のシーンにおける粋と野暮, ナウさとダサさをより俯瞰視点で相対化できる気がする.

それが小劇場とテニミュなのか, EDMと奥華子なのか, バーグハンバーグバーグとユーフラテスなのか分からないし, 双方のシーンにとって意味のわからないものになる可能性もあるけど, 結果は置いといて, やってる当本人にとってはすごく実りのある体験にはなるんじゃないかなぁ.

ノガミカツキと映像作ってる時に思った. コラボレーションからのイノヴェーションだか何だか的な意識高いアレでも, 全然違うタイプだけど認めてるぜ的なマブダチ感を醸したい訳でもなしに, それは, わりかし率直に思う.

映像作ってる人の中でも, なんとなくアート・アニメーション界隈とかエナジードリンクにやたら詳しい界隈, クリエイティブ・コーディングみのある界隈とか, オモシロい其れ即ちクリエイティブな界隈, インターネット・ミーム大好き界隈, 政治的関心度高い界隈とかやたら細かく分断されてる感覚はあって(半径50mの話), 映像クリエイター飲みつってもそのクラスタを超えて集まることはあまり無かったりするのだけど, 多分そういうノリの違いこそ越えていくべきで, 「よさ」が単一のクラスタに閉じたサムいものにならない為には, そういう人と一緒に作っていくべきなんだと思う.

いちいち細かいインターネット感の違いを遠目にあざといなぁー思ったり, 無関心を装ったシニカルな目を向けていたりするのはただただ機会損失(この言葉選びにシニカルになるクラスタもある)でしかなくて, 個人的にすごく寂しいし, なんかもっと(自分含め)みんなナイスになれればいいのになぁって最近感じる.