Baku Hashimoto

橋本 麦

面白さ

朝、電車でiPodを聞いていたら、ふと奥華子の『初恋』が流れてきました。
僕は恋愛ソングになんの感動も覚えないタイプなのですが、
ふと感慨にふけてしまいました。
というのは、高校で放送局をしていたころ制作した番組で
このインストゥルメンタルを使ったからです。
ちなみにその番組は(奇跡的にだけど)全国大会で最優秀を頂けました。

ほんの一年前のことだけど、
その時を思い出すと、自分って制作に対して随分とピュアだったなぁって思います。
と18歳が言うのもヘンな話ですが…(^^;)
だけど、僕はただ、目の前の視聴者を面白がらせたかっただけでした。
それは医者が、「患者さんの『ありがとう』が何よりの励み」と言う感覚ではなくて、
もっともっと幼稚で短絡的な願い。
自分の作品を観てくれた人がゲラゲラ笑ったり、歓声を上げたりするのを
傍からニヤニヤして眺めることが最高に愉快だったんです。

じゃあ今はどうなんだろう。
ここ最近、何のために制作をしているのかが分からなくなってきている気がします。
それは自分もそうだけど、周りの人達も同じなのかもしれません。
いや、本音を行ってしまえば、
自主制作をすることで安心したいだけかも。
熱心ですよ、打ち込んでますよ、って。
或いはコンペやイベントに出品することで満足感を得たいだけなのかもしれません。
そして自分の作った作品群に囲まれて、
アーティストな自分に自己陶酔して、はい終わり、みたいな…^^;

僕は、本当はただ単純に面白い作品が作りたいはず。
funnyな面白さ、
interestingな面白さ、
inspirationalな面白さ、
その面白さの種類には拘りません。
とにかく受け手に何らかの感情を喚起させるようなものが作りたい。
アカデミックな観点からの評価なんてどうでもいいし、
コンテクスト云々なんて必要ありません。
それは建前でも言い訳でも、僻みでもなくて、
そんな作り手や評論家とかいう立場の、コンマ何%の人達に絶賛されるよりも
はるかに、不特定多数の人達を沸かせられる喜びの方が大きいと感じるからです。
NHKホール中が、ここぞ、というタイミングでどっと笑ってくれる。
Twitterでエゴサーチしたら、大学生や大人の方からもコメントを頂いて。
本当に、涙が出るほど気持ちよかったです。

結局「だれのための作品なのか」が全てなんじゃないかな、って思います。
最近の僕もそうだけど、
意外とそこに意識が置かれていない気がします。
つくることそのものが目的化されてしまった、
受け手不在の制作。
時々、美大生の自主制作を見ていてもそう感じることがあります。
同じ作り手として意見することは、経験が短い分あまりにも無礼すぎるし、
それを教授が素晴らしいと感じたことに異論を唱えるなんて出来る立場ではありません。
だけど、アート的視点からいくら評価されたとしても、
一般の人が見たらポカーンとする作品は、
その存在自体を否定するつもりはありませんが、
僕は絶対に作りたくありません。

頑張ろ…。