Baku Hashimoto

橋本 麦

伝える責任

不謹慎な話かもしれません。

高校で放送局をしていたころのハナシ。

全国大会でドキュメント部門を見ていました。
その時なんだか腹が立ったのが、
テーマが「戦争」だとか「障害のある方」になった瞬間に
その番組をツマラナイと言うのがタブーになること。

大事なことだよ?
社会的問題に対して関心をもたなくちゃね。

そんな無言の圧力に
ただ「とても考えさせられました。」とでも
無難に感想を述べることしか許されない。
あたかも、そのような感じがしました。

別に「戦争」や「障害のある方」というテーマ自体に
興味がないわけではありません。
ただ、NHKのプロの方々のドキュメンタリー番組を
人並みに観てしまっている僕にとって、
高校生が作った番組から得られるものは
ほとんどなかった、それだけです。
(もちろんそのテーマを取り扱っていながら、
独自の始点で切り込んだ、
素晴らしい番組もありました。)

度々耳にする評価。
「高校生が社会的問題についてここまで興味関心を持って調べたとは
素晴らしいことだ。」
そう言えるのは、
高校生という年代を客観的に捉えられる年齢になった大人だからであって
同じ高校生だった僕からは、
だから何?
で終わってしまうものです。
というかそもそも、
それは作品そのものに対しての評価ではない気もします。

僕達って、思っている以上に残酷だと思います。
正直に言えば、
僕は悲惨な戦争の歴史や、
街のバリアフリー化よりも、
iPhone 5の発表の方が気になります。
頭では分かっています。
過去の過ちは二度と繰り返してはいけないこと。
障害のある方々の苦労。
それは一企業の一製品の動向よりも
ずっとずっと重要であると。
ただ、戦争を直接体験していない世代に、
五体満足で生まれ、不自由なく育ってきた僕にとって、
その大切さを「常識」としてでなく、
「本音」として理解することは
とても難しいのです。
それは僕ばかりでは無いと思います。
誰しも、少なくともそういう残酷さを持ち合わせているはずです。
修学旅行にて、原爆について講演が終わった後、
多くの生徒と、そして一部の先生も眠っていたことから考えても。

だから、戦争や障害といったテーマの
「スルーできない」という性質に依存し続ける限り
本当の意味で、見る人の本音に訴える番組には成り得ないと思います。

重いテーマを取り上げるには、
相応の責任を負わなくてはいけません。
それは「視聴者に、その重大性を伝える」という責任です。
正直な話、見ている人全員が、
心の底からそのテーマについて関心があるわけではありません。
そういった人たちを振り返らせて、
メッセージを伝えていくだけの力量が
番組には求められるはずです。
でないと、その当事者の方々に失礼です。
テーマがテーマなだけに、
小学校の頃道徳や社会の時間で見せられたビデオと
似たり寄ったりなまとめでも押し付けて
見る人に「とても考えさせられました」と
表面上で納得させることは容易いかもしれません。
しかし、そうであってはいけない。
番組に精一杯の工夫を凝らして、
本音に訴えかけるものにしなくてはいけない。
全国大会の夏、そう感じずにはいられなかったのです。

                    

上手く文章にまとめられなかった。
共感してもらえるかなぁ、このモヤモヤ感。